銘 栗原信秀造
安政六年二月日

Katana
Kuribara NOBUHIDE tsukuru
Ansei 6 nen 2 gatujitsu


武蔵国 安政 四十五歳 百六十二年前

刃長 二尺四寸七分
反り 六分
元幅 一寸六厘
先幅 七分
棟重ね 一分九厘半
鎬重ね 二分
金着二重ハバキ 白鞘入

平成三年東京都登録

特別保存刀剣鑑定書

Musashi province
Ansei 6 (A.D.1859, late Edo period)
162 years ago

Hacho (Edge length) 74.8㎝
Sori (Curvature) approx. 1.82㎝
Moto-haba (Width at Ha-machi) approx. 3.21㎝
Saki-haba(Width at Kissaki) approx.2.12㎝
Kasane (Thickenss) approx. 0.61㎝

Gold foil double Habaki
Shirasaya

Tokubetsu-hozon certificate by NBTHK

 源清麿一門中、師の作風を最も極めたのが栗原信秀である。信秀は、角兵衛獅子で知られる越後国月潟村に文化十二年に生まれた。幼くして父を喪い近隣の金具師に弟子入りしたが、さらなる技術を学ぶべく十五歳で京に上り、社寺などの飾金具の修業を積んでいる。この頃、神道に通じる題材を学ぶ中で刀工栗原信充に出会い、作刀への道を踏み出したと云われ、後に窪田清音(注)の知遇を得、清麿に弟子入りを許されるのである。独立後は、ペリー来航による世情騒然に伴い、浦賀や大坂での駐打ちなど、幕命を受けて作刀に励んでいる。特筆すべきは、清麿の最盛期に、最も間近でその技に接し、作業をつぶさに見、感性をも学び得たのが信秀であったことであろう。  この刀は、寸法長めに中間反りでバランス良く、身幅広く、鎬地を狭めに仕立て、刃先の肉を削いで截断の効果を高め、中鋒延びごころに結んだ安定感のある造り込み。柾目を交えた板目鍛えの地鉄は、全面に付いた地沸を切り裂くように地景が鮮明に表れて肌起ち、その潤い感と流れるような景色に清麿伝の特質が明示されている。刃文は刃先に迫るように長い足を伴う互の目乱で、馬の歯乱れ状に互の目の頭が揃いごころの中に小丁子、尖刃、矢筈刃、角刃を交えて変化に富んだ刃採り構成としている。柔らか味のある匂口は明るく、刃境に小型の金線が稲妻状に光り、濃密な匂で明るい刃中には長い足に絡むようにほつれが掛かり、浅く乱れ込んだ帽子も掃き掛けを伴って先小丸に返る。控え目釘穴を設けて実戦の備えとしたものであろう、一門特有の玉を突いた筋違鑢に、鑚枕の立つ銘が力強く刻されている。

注…清音は、清麿の後援者として知られる。幕臣で弓術、馬術、居合など各武術に通じていていたのみならず、故実にも明るかった。

刀 銘 栗原信秀造 安政六年二月日刀 銘 栗原信秀造 安政六年二月日刀 銘 栗原信秀造 安政六年二月日 白鞘

 

刀 銘 栗原信秀造 安政六年二月日 差表中央刀 銘 栗原信秀造 安政六年二月日 差表切先刀 銘 栗原信秀造 安政六年二月日 ハバキ上

刀 銘 栗原信秀造 安政六年二月日 差裏切先刀 銘 栗原信秀造 安政六年二月日 刀身差表 中央刀 銘 栗原信秀造 安政六年二月日 差裏ハバキ上

 

刀 銘 栗原信秀造 安政六年二月日 ハバキ

 

信秀押形