平成三年東京都登録
特別保存刀剣鑑定書
源清麿一門中、師の作風を最も極めたのが栗原信秀である。信秀は、角兵衛獅子で知られる越後国月潟村に文化十二年に生まれた。幼くして父を喪い近隣の金具師に弟子入りしたが、さらなる技術を学ぶべく十五歳で京に上り、社寺などの飾金具の修業を積んでいる。この頃、神道に通じる題材を学ぶ中で刀工栗原信充に出会い、作刀への道を踏み出したと云われ、後に窪田清音(注)の知遇を得、清麿に弟子入りを許されるのである。独立後は、ペリー来航による世情騒然に伴い、浦賀や大坂での駐打ちなど、幕命を受けて作刀に励んでいる。特筆すべきは、清麿の最盛期に、最も間近でその技に接し、作業をつぶさに見、感性をも学び得たのが信秀であったことであろう。 この刀は、寸法長めに中間反りでバランス良く、身幅広く、鎬地を狭めに仕立て、刃先の肉を削いで截断の効果を高め、中鋒延びごころに結んだ安定感のある造り込み。柾目を交えた板目鍛えの地鉄は、全面に付いた地沸を切り裂くように地景が鮮明に表れて肌起ち、その潤い感と流れるような景色に清麿伝の特質が明示されている。刃文は刃先に迫るように長い足を伴う互の目乱で、馬の歯乱れ状に互の目の頭が揃いごころの中に小丁子、尖刃、矢筈刃、角刃を交えて変化に富んだ刃採り構成としている。柔らか味のある匂口は明るく、刃境に小型の金線が稲妻状に光り、濃密な匂で明るい刃中には長い足に絡むようにほつれが掛かり、浅く乱れ込んだ帽子も掃き掛けを伴って先小丸に返る。控え目釘穴を設けて実戦の備えとしたものであろう、一門特有の玉を突いた筋違鑢に、鑚枕の立つ銘が力強く刻されている。