昭和四十一年佐賀県登録
特別保存刀剣鑑定書
Put on "Muromachi-ki Mino toko no kenkyu"
肥沃な土地と水上交通の利便で栄えた美濃国は戦国武将斎藤氏と織田氏の領国で、兼氏の昔より優工が鎚を振るっている。美濃刀の品質と切れ味が実戦の場を経て確認され、武将に大いに好まれ、その後援もあったのであろう、兼道は永禄十二年春に自作の剣を正親町(おおぎまち)天皇に献上して大の字を賜り、陸奥守大道と改銘した。一門の有力他工もこれに倣い、信濃守、相模守、豊後守等を受領して大道を名乗り、精力的に作刀したのである。
表題の短刀は三河守大道)陳直(のぶなお)の作で、同工の遺作(注)では最古の天正十四年紀。棟を真に造り、身幅尋常で寸法延びごころ、ふくらがやや枯れて凛とし、一時代上がって見える好姿。板目鍛えの地鉄は棟寄りに柾を配して良く錬れ、淡い地景が太くうねるように入り、地沸が厚く付いて関映りが立つ。刃文は浅い湾れに互の目を配し、伊勢村正の如く表裏が揃い、帽子は掃き掛けて小丸に返る。小沸が付いて刃縁きっぱりと締まって明るい焼刃は、刃境に細い稲妻状の金線が入り、匂で澄んだ刃中に砂流しが掛かり、淡い小足が入る。茎は細かな檜垣鑢が掛けられ、細鑚で入念に刻された銘字に鑚枕が立つ。遺作の尠ない初代三河守大道陳直の優技が示された同作中の傑作である。
黒漆変り塗鞘の拵は、沢山の実をつけることから多産の象徴とされた茄子図金無垢地の目貫と、長命の証でもある蓑亀図小柄が漆黒に色鮮やかに映えて格調が高い。