昭和二十六年東京都登録
特別保存刀剣鑑定書
子の真改國貞に対して親國貞と呼び慣わされる初代國貞は、天正十八年日向国飫肥の真宗の寺の生まれ。幼くして母を失い継母に育てられたが、折合いが悪く、多感な少年國貞は伝を頼って同郷の刀工堀川國廣の門を叩くべく京に上り、同門の高足越後守國儔に師事した。時は慶長の半ば、十代後半の頃であったという。刻苦修業の甲斐あって腕を上げ、慶長十九年の國廣没後ほどなくして独立。元和七年以前には大坂に移り、同九年九月十五日、三十四歳で和泉守を受領している。初代河内守國助と共に大坂新刀の祖として名を成して後も、飫肥伊東家の家士として藩主祐久とは君臣の情が厚く、生涯奉公を貫いた律義者であった。
國貞五十四歳、寛永二十年頃の作になる表題の刀は、寸法、反り格好、量感のあるふくよかな体躯総てにおいて均衡がとれ、茎尻から鋒先端まで凛とした気配が伝わりくる逸品。沸き立つような杢目を交えた特色のある地鉄は鍛着が密に錬り鍛えられ、肌目に感応して地沸を分けるように網目状の地景が際立つ。刃文は沸強く深々とした互の目乱。如輪杢の如き地景が刃中に及んで無数のほつれ、金線、稲妻を生み出し、小沸匂の広がって明るい刃中に層状に広がる砂流しを形成。帽子はわずかに乱れて細やかな火炎状に掃き掛けて返る。姿地刃共に重厚感のある、円熟味溢れる出来栄えを見せている。優れた切れ味を証する截断銘も貴重である(注)。