昭和二十八年京都府登録
特別保存刀剣鑑定書
阿片戦争で清国が英国に敗れた衝撃的事件により、諸藩は軍制改革に着手し、尊王攘夷の総本山水戸藩では烈公斉昭の指導で城下白旗山に武器製造所を建設した。ここで中心的な役割を果たした勝村徳勝は、関山徳宗門で修業後、藩命で江戸の細川正義、固山宗次、石堂是一らに学び、後に養子とした門人正勝と共に鎚を振るった。徳勝の「御刀手控帳」には「荒様請合」と注記も見え、鹿角や堅木での厳しい試刀にも耐える絶対の自信を窺わせている。
この刀は、尊王攘夷の最高潮の文久三年に、二十七歳の正勝に助力させ精鍛した作。身幅広く両区深々として重ね極めて厚く、棒樋が深く掻かれてなお手持ち重く、腰反り高く中鋒の美しい姿。地鉄はわずかに揺れる柾目肌に小板目を交えて詰み、肌目に沿って細かな地景が働き、小粒の地沸が均一に付いて湯走りが強く働く。小丁子乱に浅い湾れを交えた刃文は、下半が激しく、次第に穏やかになり、帽子は表が浅く乱れ込み、裏が先突き上げて、表裏共に掃き掛けて小丸に返る。焼刃は小沸で明るく、刃境に湯走り掛かり、金線、砂流し断続的に掛かって無数の足が入り葉浮かび、刃中は沸匂が充満して明るく、しかも匂で澄んで堅く締まり、優れた截断能力を感じさせる。茎は錆浅く未だ白く輝き、太鑚で草書体風の銘字が強く刻されて鑚枕が立つ。強さと切れ味そして美を兼ね備え、徳勝の優質が示された一振である。