銘 日州古屋之住國廣作
天正六年八月彼岸

日向国-山城国 天正六年 四百四十三年前

刃長 二尺九寸
反り 一寸強
元幅 一寸二厘
先幅 六分三厘
棟重ね 二分五厘強
鎬重ね 二分七厘

岩崎彦彌太氏旧蔵

『日本刀の近代的研究』
『國廣大鑑』
『寒山刀剣講座』所載
「正宗と堀川国広名刀展」(注①)出品刀

刀 銘 日州古屋之住國廣作 天正六年八月彼岸

刀 銘 日州古屋之住國廣作 天正六年八月彼岸 刀身差表切先刀 銘 日州古屋之住國廣作 天正六年八月彼岸 刀身差表 中央刀 銘 日州古屋之住國廣作 天正六年八月彼岸 刀身差表 中央刀 銘 日州古屋之住國廣作 天正六年八月彼岸 刀身差表 ハバキ上

刀 銘 日州古屋之住國廣作 天正六年八月彼岸 切先刀 銘 日州古屋之住國廣作 天正六年八月彼岸 刀身差裏 中央刀 銘 日州古屋之住國廣作 天正六年八月彼岸 刀身差裏 中央刀 銘 日州古屋之住國廣作 天正六年八月彼岸 刀身差裏 ハバキ上

刀 銘 日州古屋之住國廣作 天正六年八月彼岸 ハバキ

和泉守國貞や河内守國助等の師で、新刀の祖と謳われる堀川國廣は、戦国武将伊東氏の領国日向国阿屋郷古屋に鞴を構えていた修験鍛冶の家の生まれ。豊後の大友宗麟と同盟して日向国を領した伊東義祐に仕え、義祐の孫満千代の世話係を務めたという(注②)。威勢を誇った伊東義祐が、天正五年に薩摩島津氏に敗れて国を追われた際、國廣は主義祐に従い、宗麟の豊後臼杵城へ避難している。捲土重来を期して鍛刀していた國廣は、刀工としての飛躍を求めた故であろうか、その後主家を辞し、國安、正弘等の一族を率いて山陽道、京、美濃岐阜を経、下野国足利に暫く滞在している。足利では武将長尾顕長が北条氏直から拝領した備前長義の刀(重要文化財 徳川美術館蔵)を熟覧する等、技術と人間力の錬磨に努め、天正十九年に上京してやがて一条堀川に鍛冶場を構えたのであった。
天正六年八月に豊後臼杵で鍛えたとみられるこの刀は、「日州古屋之住」の銘に日向奪還への決意が滲んだ威風堂々の一刀。身幅広く重ねが厚く、寸法長く腰反りの高い太刀を想わせる美しい姿。地鉄は小板目に小杢目を交えて詰み、地景が密に入り地沸が厚く付いて肌が潤い、区付近から國廣特有の水影映りが立つ。変化に富んだ乱刃は、尖刃、腰開きごころの刃、矢筈風の刃、蟹の爪形の刃を交え、小沸が付き匂口締まって明るく、小足、葉が盛んに入り、刃中は沸匂で透明感が高い。帽子は浅く乱れ込んで焼詰め。大成期の相州伝の作とは様相を全く異にし、最初期の國廣の全貌が明らか。三菱財閥総帥岩崎彌太郎の孫彦彌太氏の名で昭和十六年に重要美術品に認定されている。本作は、國廣の研究上不可欠というべき歴史的な大作である。

注①…昭和二十九年刀剣博物館。

注②…臼杵で洗礼を受け、天正十年天正少年使節として渡欧した伊東マンショ(『日向の刀と鐔』参照)。

國廣押形



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