昭和五十二年東京都登録
特別保存刀剣鑑定書
源清麿の最後の門人として遍く知られる斎藤清人は、仙台藩士長野清右衛門の八男で文政十年の生まれ。酒井家の鍛冶斎藤小四郎の養子となり、斎藤小市郎と名乗った。嘉永五年二十六歳にして清麿に入門したが、わずか二年半ほどの後に師が負債を残したまま自刃。安政五年に酒井家に抱えられるも、師の債務が終わるまで自ら代わって刀を打ちったという。師の注文をその没後に弟子が引き継ぐという前代未聞の行為は、清人の技術力を高める結果となったのみならず、人間性の証明と世の評価にもつながっている。
この脇差は身幅が広く区深く、物打辺りも張って鋒が鋭利、重ねもしっかりとして茎が長く、先反りの付いた、南北朝時代の腰刀を想わせる清麿一門の特徴的な姿格好。小板目鍛えの地鉄は強い地沸で覆われ、これを分けるように所々杢目と板目が地景を伴って肌立ち、気の流れるような景色が刀身表面に現われる。互の目の刃文は焼頭が小丁子を伴って平坦になり刃先近傍まで長く足の入る、師清麿が得意とした所謂馬の歯乱。ふくら辺りから乱れが強まり、掃き掛けを伴う乱帽子は捌き頭となって返る。小沸と匂の複合になる明るい焼刃は、刃境がほつれて一部に沸が凝り、足に絡むように沸筋と砂流しが掛かる。所々淡い飛焼が地に変化を与えている。
品の良い印籠刻みの黒漆塗鞘に、素銅地金平象嵌による雪華文散らしの一作金具で装われた、瀟洒な脇差拵に収められている。