昭和二十六年長崎県登録
特別保存刀剣鑑定書
価格 九十万円(消費税込)
文化十四年美作国津山藩に召し抱えられた細川正義は、天明六年下野国鹿沼の生まれ。江戸の水心子正秀に入門して業成り、江戸城下で鎚を振るった。正義は、正秀の復古刀理論を実践して成功した刀工の一人で、備前伝と相州伝に優れた作を遺し、大慶直胤と比肩する名手として刀史に名を刻している。また、子の近蔵忠義、仙之助正守、城慶子正明など技量の優れた後継者を育てている。
この短刀は、心技充実期(注①)の天保七年に精鍛された一口で、両区深く、わずかに反って先反りが加わり、身幅の割に寸法が延びて優美な短刀姿とされており、応永盛光を想起させるものがある。地鉄も応永備前の杢目を意識したものであろう、板目に杢目が配され、小粒の地沸が厚く付き、斑文状の映りが立つ。刃文は腰開きごころの互の目に小丁子、尖りごころの刃が交じり、白雪のような小沸がふわりと積もって刃縁明るく、刃境にはほつれ掛かって砂流しとなり、匂が敷き詰められて霞立つように澄む刃中に匂足が柔らかく射す。尖りごころの互の目の頭から地中に煙り込むような働きも応永備前を想わせる。焼を充分に残した帽子は、表が乱れ込んで金線を伴い、蝋燭の先端のように尖り、裏は僅かに丸味を帯びて返る。保存状態良好な茎にも反りがついて振袖形となり、一本一本強く鮮明な筋違鑢が掛けられて細川正義らしく、几帳面な鑚使い(注②)で堂々と刻された銘字に鑚枕が立ち、「作陽士」の添銘と「ホソ川」の刻印も鮮明。細川正義の特色が顕著で、出来の優れた一口である。
粒の小さく揃った鮫皮の研ぎ出し鞘に、龍神図金具で装われた小さ刀拵に収められている。