銘 水心子正次(花押)
天保十三年仲春 為安部滋野信順君造之

Katana
Suishinshi MASATSUGU(Kao)
Tenpo 13 nen chushun
Abe Shigeno Nobuyuki kun no tame kore wo tsukuru


武蔵国 天保  二十九歳作 百七十八年前

刃長 二尺五寸六分四厘
反り 六分
元幅 一寸一分
先幅 七分三厘半
棟重ね 二分四厘強
鎬重ね 二分六厘半

彫刻 表裏 棒樋掻通し

金着二重ハバキ 白鞘入


昭和二十九年愛知県登録

特別保存刀剣鑑定書

価格 百五十万円(消費税込)

Suishinshi MASATSUGU (Born: 1814, Bunka11)
Musashi province
Forged in 1842 (Tenpo 13, late Edo period)
178 years ago

Hacho (Edge length) 77.7㎝
Sori (Curvature) approx. 1.82㎝
Moto-haba (Width at Ha-machi) approx. 3.33㎝
Saki-haba(Width at Kissaki) approx.2.23㎝
Kasane (Thickenss) approx. 0.8㎝

Engraving: "Bo-hi" kaki-toshi on the both sides

Gold foil double Habaki
Shirasaya

Tokubetsu-hozon certificate by NBTHK

Price 1,500,000 JPY

 正次は水心子正秀の孫で名を川部北司といい、文化十年江戸の生まれ。文政八年に祖父と父貞秀が死去し、後に遺された十三歳の正次は、祖父の高弟大慶直胤に引き取られ、下谷御徒町の家(注①)で起居を共にし、その親身の指導で備前伝と相州伝を修め、後に娘婿となり、祖父正秀や直胤と同じく館林藩秋元家に仕えている。正次の刀は出来が優れて直胤の作に見紛う程であり、『新刀銘集録』巻八では「キタヒ(鍛)モ錵匂ヒモ直胤二能似タリ。荒錵・小錵交リ砂流二有テ見事ナリ」と絶賛されている(注②)。
 この刀は相州伝、就中、郷義弘写し(注③)の一刀で、身幅広く両区深く、腰反り深く中鋒が延びて姿堂々とし、棒樋が掻き通されて抜群の洗練味。柾目鍛えの地鉄は鉄質優れて緻密に詰み、地沸が微塵に付いて処々湯走りが掛かって透き通るような肌合いとなる。互の目乱の刃文は新雪のような小沸で刃縁が明るく、柾目鍛えに感応して金線、砂流しが幾重にも掛かり、足が長く射し、刃中は匂で霞が立ったように穏やか。帽子は浅く乱れ込み、掃き掛けて小丸に返る。茎は化粧の付けられた筋違鑢が丁寧に掛けられて保存状態が優れ、伸びやかな鑚使いで刻された銘字が鮮明である。
 注文主の安部滋野信順(注④)は、禄五百石で書院番として江戸城の守りを担当した旗本。その需に応えて材料を選んで入念に鍛刀されたものであろう。地刃溌溂とし、出来優れた一刀となっている。

注①…東京都台東区上野五丁目十一番十一『刀工遺跡めぐり三三〇選』)。

注②…天保八丁酉年秋紀の相州伝の刀(第四十回重要刀剣)、天保十二年仲秋紀の相州伝の刀(第三十五回重要刀剣)がある。

注③…『日本刀大鑑古刀篇三』では「(郷義弘は)相州伝であるが、その中に正宗の作風をさまで強調せず山城、大和風をも窺うことが出来るであろう」と述べ、地鉄が殆ど柾になる例として名物村雲江が挙げられている。直胤の郷写しの刀には天保七年仲春紀の「造大慶直胤(花押)」(『銀座情報』三八六号)があり、これも柾鍛え。

注④…清和天皇第五皇子貞保親王の流れで、本姓は滋野。三河国八名郷に領地があった。

刀 銘 水心子正次(花押) 天保十三年仲春 為安部滋野信順君造之刀 銘 水心子正次(花押) 天保十三年仲春 為安部滋野信順君造之刀 銘 水心子正次(花押) 天保十三年仲春 為安部滋野信順君造之 白鞘

 

刀 銘 水心子正次(花押) 天保十三年仲春 為安部滋野信順君造之 差表中央刀 銘 水心子正次(花押) 天保十三年仲春 為安部滋野信順君造之 差表切先刀 銘 水心子正次(花押) 天保十三年仲春 為安部滋野信順君造之 差表ハバキ上

刀 銘 水心子正次(花押) 天保十三年仲春 為安部滋野信順君造之 差裏切先刀 銘 水心子正次(花押) 天保十三年仲春 為安部滋野信順君造之 差裏ハバキ上刀 銘 水心子正次(花押) 天保十三年仲春 為安部滋野信順君造之 差裏ハバキ上

 

刀 銘 水心子正次(花押) 天保十三年仲春 為安部滋野信順君造之 ハバキ

 

正次押形