平成八年埼玉県登録
重要刀剣
政光は兼光の子とも伝え、倫光と共に兼光の近くで作刀した一門の実力者。その活躍期は長く、足利尊氏が没した南北朝中期の延文から、三代将軍義満が強い求心力を以て南北両朝を合一し、北山文化を開花させた室町初期の応永まで実に四十余年(注②)に及んだ。武功を以て名を遺さんと武将たちが躍動した時代、彼らの負託に応えるべく、政光は鎚を持つ手に精魂を込めたのである。
この太刀は応永に改元された明徳五年、義満が太政大臣(注③)となった年の作。重ね頗る厚く平肉も付き、適度に反って腰元に踏ん張りが付く太刀姿完存(注④)の貴重な一振。流れごころの板目に杢目を交えた晴れやかな地鉄は、太く細くと地景が濃密に入って肌目が起ち、地沸が微塵に付いて乱れ映りが現れる。刃文は腰開きごころの互の目に丁子、片落ち風の刃、尖りごころの刃、むっくりと丸みのある刃を交えて多彩に変化し、新雪の如き沸で刃縁明るく、金線、砂流し微かに掛かり、刃中の匂が昂然と輝いて刃色青く冴えた極上の美観。帽子は浅く弛み、僅かに掃き掛けて小丸に返る。茎の保存状態は良好で、細鑚で刻された銘字は鑚の線が清く澄み、裏年紀も貴重。最上研磨(注⑤)により政光の美点が余す所なく表示された傑作である。