葡萄に斧図鐔

銘 貞栄

江戸中期 近江国国友‐伊勢国亀山‐下総国佐倉
鉄地真丸形砂張象嵌
縦八三・五㍉ 横八十三・三㍉  切羽台厚さ四・八㍉

葡萄に斧図鐔 銘 貞栄

葡萄に斧図鐔 銘 貞栄

 

鐔など装剣小道具の画題には、武士の規範や戒め、宗教観などが暗に示されていることがある。では、この葡萄と斧の組み合わせには如何なる意味が秘められているのだろうか。古金工や上代後藤に、既に失われてしまった使途不明な道具の描かれた作品があるように、この鐔の図の意味も歴史の彼方に消えてしまったのであろうか。
 『万葉集』が音に通じた万葉仮名で記されていることは良く知られている。また、我が国の文化として完成された和歌に、漢字の音を他の言葉に通じさせる表現がある。いずれも言葉遊びのようでもあるが、日本語が持つ表音文字の特異性により、音を通じて成す第三者へのメッセージと考えれば、貝が戒、甲斐、快などに通じているように、後に武家社会における戒めの表記に進化していることが分かり、興味深い文化の一つと言い得る。
 この鐔の「葡萄」は、「葡萄に栗鼠」図を「武道に立す」と読ませたことと同じく、「武道」に意味を通じさせたものに他ならない。一方の「斧」は善き、あるいは良き、佳きに通じるものと考えられる。即ち「善き武道」である。
 作者貞栄は近江国国友村の鉄炮鍛冶の出。鉄炮の需要が減ったことにより、鉄地に独特の合金を象嵌する技法を突き詰めて鐔の製作と装飾性を極め、宝永年間に伊勢国亀山の松平家に抱えられている。以降、主家の転封に伴って山城国淀、上総国佐倉と活躍の場を移している。
 砂張象嵌は、彫り込んだ文様部分に砂張と呼ばれる銅、鉛、錫などの合金を熔融させて流し込むという特殊な象嵌技法である。砂張は比較的熔融しやすいことから、鐔という表裏のある物体に熔脱せぬよう固着させる技術が要であると共に、文様に現れた熔融金属独特の蝕まれたような気泡や窪みが自然な景色を生み出すところに鑑賞の大きな鍵がある。
 この鐔は、鍛え強い鉄地を碁石形に造り込み、たわわに実る葡萄を表に、裏には斧を大胆に構成している。その所々に熔融した砂張が固化収縮することによって生じた小さな円形の小穴が観察される。同時に、未だ熔融しきっていない粒状の砂張が空隙に残されており、これも自然な景色を生み出している。砂張象嵌鐔の大きな魅力は、彫り込まれた図柄の巧みさだけでなく、このような金属素材が生み出す意図せぬ景色が備わっているところにある。さらに、簡潔な陰影として完成された文様ながら、透かし鐔や金平象嵌のそれとは異なる鉄地と同化しそうなまでに沈んだ砂張の色合いが、武士が本来あるべき控えめな立場を暗示しているのである。
 唐草文のように蔓を伸ばして成長する葡萄に永遠の生命力を感じとり、古くから衣服などの文様に好まれたように、この鐔でも、実りの豊かさと、家の繁栄をも示している。一方の斧は、戦においては最前線を切り払って進軍するための道具に他ならず、大胆な構成も武士の持ち物らしく存在感が突き抜けている。
 さて、葡萄文が唐草文のように好まれた理由は永遠の生命を暗示しているだけではなく、葡萄が甘い果物である点にも目を向けなければならない。食用の葡萄は奈良時代にシルクロードを経て我が国に伝来したとも考えられているが、野山には多種類の山葡萄が自生している。
 シルクロードは、植物としての葡萄と共に葡萄酒という飲み物をも伝えている。芳醇な香りとアルコールによる心地よい酔いを与えてくれる葡萄酒が、人々に好まれない理由はないだろう。因みに、古代ギリシャの『植物誌』は葡萄の栽培法や葡萄の薬効などを記しているのだが、これに加えて「葡萄酒は男を発狂させ、婦人を不妊にする」とあるように、この時代に既に熱狂的な流行と、アルコール依存症が広がっていたことを匂わせている。その一方で葡萄酒は催眠を誘発する薬としても効果を発揮し、他の薬草と混ぜて治療に用いたとも記されているのが興味深いところである。
 葡萄酒は六千年以上前のメソポタミアで既に造られていたことが分かっている。葡萄酒の起源について、以下のような話がある。
 猿が食べようとして木の洞に貯めていた山葡萄が、自然発酵してアルコールに変化していたというのだ。それを樵や猟師が得ていた。葡萄は、その表皮に付着している酵母によって醗酵する。葡萄は、ヒトが言わば原始人の時代から食べていたと考えられる。そして、偶然にも猿が葡萄酒を造り出したとすれば、ヒトも太古の時代から葡萄酒のアルコールを摂取していた可能性がある。
我が国の縄文時代の遺跡から(注)、山葡萄の種が付着している瓶が見つかっているのも、あるいは葡萄酒が作られていたのではないかとの想像を膨らませ得る事実である。
 葡萄図鐔が好まれた背景には、自然の恵みに対する感謝の念があり、それは太古の時代から備わっていた自然観によるものと考えられる。江戸時代の武士の美意識が示された「善き武道」の背後に、このような悠久の歴史が隠れていることへの興味も鐔鑑賞の一つと言えよう。

注…三内丸山遺跡から葡萄を醗酵させたと思われる遺物が出土している。

 

銀座名刀ギャラリー館蔵品鑑賞ガイドは、小社が運営するギャラリーの収蔵品の中から毎月一点を選んでご紹介するコーナーです。
ここに掲出の作品は、ご希望により銀座情報ご愛読者の皆様方には直接手にとってご覧いただけます。ご希望の方はお気軽に鑑賞をお申し込み下さいませ。