山城国 寛文頃 約三百五十五年前
刃長 二尺四寸七分五厘(七五糎)
反り 四分
元幅 一寸七厘半
先幅 七分一厘
棟重ね 二分六厘半
鎬重ね 二分四厘強
金着二重ハバキ 白鞘付
黒木肌文塗鞘打刀拵入
拵全長 三尺五寸
柄長 八寸七分
昭和五十一年東京都登録
特別保存
ー
Yamashiro province
Kanbun era (A.D.1661-1672, early Edo period)
About 355 years ago
Hacho (Edge length) : 75㎝
Sori (Curvature) : approx. 1.21㎝
Moto-haba (Width at Ha-machi) : approx. 3.26㎝
Saki-haba(Width at Kissaki) : approx.2.15㎝
Kasane (Thickenss) : approx. 0.8㎝
Gold foil double Habaki
Wooden case (Shirasaya)
Kuro ki-hada mon nuri saya, uchigatana koshirae
Whole length approx. 106cm
Hilt length approx. 26.4cm
Tokubetsu-hozon
ー
近江守久(ひさ)道(みち)は堀六郎兵衛と称し、江戸時代初期の京都に栄えた三品派の工で、師等と共に新刀五鍛冶に名を連ねる名人。寛文元年に近江大掾を受領、さらに近江守に転任し、初期に菊紋を切り添えることが多く、後には枝菊紋も彫り添えている。 この刀は、寸法が長く身幅の広い頑強な造り込みで、一寸五分ほど磨り上げられてはいるが大振りの原姿が良く判る姿。特別の注文によるものであろう反りを控えめに、殊に重ねが厚く、示現流剣術の如く両手でしっかりと構えて打ち込むことにより、相手の刀をも打ち砕く目的を持たせたもの。小板目鍛えの地鉄は地底に流れ肌を交えて均質に詰み澄み、細かな地沸が全面に付いて冴えわたる。刃文は不定形に乱れる互の目が湯走りによって変化に富み、所々湯走りから飛焼に変じて地に景色を成し、帽子は浅く湾れ込んで先小丸に返る三品風で、ごく浅い棟(むね)焼(やき)を長く施す。明るい匂に小沸を調合させた焼刃は、匂口締まって冴え、刃(は)縁(ぶち)の沸筋が金筋を伴って層状に連なり丹波守吉道の焼刃を想わせ、また差表の所々に配された飛(とび)焼(やき)は雲間に現れた三日月を想わせる。太く長く射した匂(におい)足(あし)は沸筋によって寸断され、飛(とび)足(あし)、葉となり、匂が満ちて透明感のある刃中をさらに明るく彩る。差裏の物打辺りに玉刃(たまば)が焼かれているのは意図してのものか、これも三品派のふくら辺りにみられる玉焼に通じるもの。近江守を受領した直後、寛文前期の特徴的な太い銘が刻されている。 木肌模様に黒漆を施した上を素銅の金具で装った頑丈な鞘に、桜花図松皮菱透の鐔を掛け、猛禽図目貫を堅く巻き込んだ、武骨ながらも洒落た拵が付されている。