昭和二十六年東京都登録
保存刀剣鑑定書
相模守政常は、大和千手院鍛冶の流れを汲む奈良太郎流の兼常の末。兼常家は孫六兼元や和泉守兼定に次ぐ有力鍛冶集団で、切れ味にも優れて戦国武将の高い信頼を得ていた名流。天文五年に生まれた佐助兼常は動乱の世を活躍の場と見定めて独立、後に清州の福島正則に仕えて工銘を政常と改め、天正二十年に相模守を受領、名古屋城下に鍛冶場を移している。慶長十二年には隠居して嫡子に職を譲るも、二代目が急逝したため再び鎚を手にすることとなった。この晩年の頃に入道銘を刻している。
この短刀は、寸法が伸びて堂々とした構造から大刀の添え差しとされて抜刀に適した実用の造り込み。表裏に草の蓮華が彫刻されて美しさが際立つ。小板目鍛えの地鉄は流れ肌を交えて詰み、細かな地沸が全面を覆い、その中に淡い地景が躍動、わずかに関映りが現れ美濃刀の威力が示されている。刃文は浅い湾れを交えた広めの直刃に小模様の乱が交じり、焼きが深く残された小丸返りの帽子の先端に淡く沸凝りが働く。匂口潤みごころの焼刃も凄みがあり、刃縁には小沸が付いて刃中に淡く広がり、所々に交じる小互の目に伴って小足が穏やかに入る。彫刻されている蓮華は流れるような曲線的意匠からなり、蕾と葉が成す陰影が独特の世界観を示している。