菖蒲造脇差
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広大な荘園を有した紀州粉河寺は、僧兵を擁して戦国武将畠山氏の圧力にも屈せずに強い存在感を示した古刹(注@)。國次は同寺に仕えた刀工で、相模国に修業し、強靭な地鉄に沸出来の直刃や乱刃の作を手掛けた。初代は寛正から明應の工で、国構えの中を※形に刻した様子が簀戸に似ることから古来「簀戸國次」と称されて賞玩厚い。ところが、初代の遺作は極めて少ない(注A)。 注@…粉河寺の創始は天平時代。猟師大伴孔子古が紀伊北端の那賀郡山中で不思議な光を発する霊地を発見し一堂を建てると、忽然と現れた童形の行者が僅か七日で千手観音像を造った。この奇跡に感動した孔子古が粉河寺を建立したという。粉河寺と同寺境内の丹生明神に國次の遺作が伝わっている。 |
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