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紺色糸裾濃縅二枚胴具足
六十二間小星兜 銘 山城国藤原金久作

江戸時代初期 山城国京都
高さ 約140cm 幅 約80cm 奥行 約64cm
(いずれも展示の寸法)

Kon iro ito, Susogo odoshi, nimai do gusoku
62 ken koboshi kabuto
Sig. Yamashiro no kuni Fujiwara no Kanehisa tsukuru

early Edo period / Kyoto city, Yamashiro province
Height:: approx.140cm
Width: approx.80cm
Dept: approx. 64cm

3,000,000JPY


紺色糸裾濃縅二枚胴具足 六十二間小星兜 銘 山城国藤原金久作


 江戸時代初期山城国で活躍した金久の手になる、六十二間小星兜が附された二枚胴具足。戦国時代、西国では伝統の阿古陀形兜を基本として多く用いる一方、筋兜や小星兜は東国を中心として普及していた。東西における兜の様式の相違は、東国が都より遠く離れていたため、西国に比して政情不安の度合いが色濃く、早くから防具の改良がなされたことによるものと考えられている。この坂東様式ともいえる筋兜が西国に広まったきっかけは、豊臣秀吉による小田原征伐に他ならない(注①)。細く仕立てた接ぎ板に小星を打ち立てた精緻な六十二間小星兜を頭上に頂く坂東武者の雄姿と、敵の刃を一切寄せ付けない強靭な防御力を目の当たりにした西国の武将達は、こぞってこの新様式の小星兜を求めたのであった。
整然と打ち立てられた小星は黒漆の艶やかな光沢に包まれている。吹き返しには金色絵魚子地丸に沢瀉紋の金具を据えて、縁は赤銅磨地に繊細な唐草を施刻した覆輪を廻らしている。胴は黒漆塗盛上本小札とし、前立挙三段、後立挙四段、胸板は両端に強い丸みを付けた当世立挙に藻獅子の絵韋を貼り、ここにも金色絵魚子地沢瀉紋金具を据えて、同じく金具まわりには赤銅磨地唐草文の覆輪を廻らしている。また、草摺は非常に珍しい十一間五段下がり(注①)。縅糸は紺色を裾濃にして、裾板に緋色の菱縫を二段設けている。江戸時代初期には関ヶ原で東西両軍が激突、雌雄を決している。弓や火縄銃の弾丸が飛び交う戦場で、武将は頑強な小星兜で火縄の弾丸を防ぎ、身体の防御はなるべく具足の隙間をなくすと同時に、機動の確保をも考慮して、草摺の細分化を図ったことが窺われる。籠手は鎖に筏散らし、皺瓢、さらには唐花、梅鉢、桜花、桔梗、酢漿草の五種の鉄地据紋金具に黒漆を施して鎖の要所に綴じこんでいる。加えて、手甲には金色絵になる沢瀉紋金具を配して華やかに仕立て、圧巻は籠手の肩口に真鍮製の揚羽蝶形の蝶番を備えて、肩の付け根の太さに応じて蝶番が腕に密着するような工夫がなされている。縅糸の状態も非常に古い。兜の側頭部に角元の痕跡が残されていることから、元来は長大な脇立を備えていたものであろう。いかなる豪勇の士が着用したのであろうか、興味は尽きない。

注①…竹村雅夫著『関東型筋兜からうかがう甲冑の東西』 甲冑武具研究一九六号参照。
注②…十一間五段下がりの草摺は非常に珍しい。著名な遺例に織田信長が上杉謙信に贈った金小札色々威 胴丸がある(東京都品川区西光寺蔵)。





紺色糸裾濃縅二枚胴具足 六十二間小星兜 銘 山城国藤原金久作

 

  紺色糸裾濃縅二枚胴具足 六十二間小星兜 銘 山城国藤原金久作

紺色糸裾濃縅二枚胴具足 六十二間小星兜 銘 山城国藤原金久作


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