脇差
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尾崎源五右衛門助隆(すけたか)は宝暦三年(注@)播磨国の生まれ。大坂の黒田鷹ェ門で鍛冶を学び、業成って寛政十年に長門守を受領している。修業中の安永八年二十七歳の時(注A)に出版された鎌田魚妙の『新刀辨疑』において津田助廣が「希有の上手」と絶賛され、その巻四に助廣の濤瀾乱の刀絵図が載せられ、「旭瀾(あさひなみ)と号し濤瀾龜文(みだれ)之模範と為す」とあったことから、これを天啓に助隆は濤瀾乱を終生の目標に掲げたのであった。 注@…『古今鍛冶備考巻四』に「文化乙丑の年五十三歳」とある。水心子正秀とは三歳違いでほぼ同世代。 |
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