刀
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明治十年、鎮台司令長官谷干城は熊本城に籠り、かつて薩土連携を交渉した旧友西郷隆盛と対峙した。押し寄せる薩摩軍一万三千人に対して城の将兵は僅か三千人。兵士を鼓舞し、重火器を駆使して奮戦(注@)すること五ヶ月。文字通り「盾」となって西郷軍の東上を阻止した谷は明治天皇の絶大な信頼と不動の名声を得た。谷は立憲と議会制を幹とする近代国家を構想(注A)する政治家でもあり、藩閥政治を批判し、天下国家のために身命を賭して挑んだ。刀を愛し、実体験(注B)に基づく類まれな眼力で切れ味優れた堅固な刀を見極め、孫六兼元の刀、「三ツ胴切落」の截断銘と「大神朝臣干城所持」の朱銘入りの多々良長幸の刀、そして郷土土佐の刀工上野大掾久國の刀を自身の佩刀としたと伝える(注C)。 注@…谷自身も弾丸が喉を貫通する重傷を負った。 |
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