刀
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鎌倉後期から南北朝期に、正家、正廣などが鍛冶場を設けて鎚を振るっていたのは、備後国芦田川上流域の、国分寺が置かれた神辺(現福山市)付近(注@)。二尺四寸四分半の備州住正家作の太刀(重美)、二尺四寸五厘の備州住正廣作の太刀(重美)等栄えある遺作の中でも、圧巻は本阿弥光徳の金象嵌で太閤秀吉から浅野幸長が拝領の由緒が茎に記された、二尺六寸六分の名物大三原(重文)であろう。父長政と共に秀吉の天下取りを輔弼した幸長に大三原が下賜されていることは、備後刀の品質と刃味(注A)への武将の信頼の高さを証している。 注@…室町期、守護所が尾道に移転して三原城が築かれると、刀工は良港のあった三原に移住した。貝姓の三原鍛冶の祖先に当たる正家や正廣を古三原、室町初期の刀工を三原と呼び別けている。
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