流水に帰雁図大小鐔
銘 後藤光美(花押)


江戸時代後期 武蔵国江戸 赤銅魚子地竪丸形高彫色絵象嵌
大 縦84.2㎜ 横79.5㎜ 切羽台厚さ4.5㎜
小 縦78.5㎜ 横73.6㎜ 切羽台厚さ4.8㎜

 

流水に帰雁図大小鐔 銘 後藤光美(花押)



芦雁図鐔 銘 安親流水に帰雁図大小鐔 銘 後藤光美(花押)



 広く好まれている花鳥図は、四季の移ろいを明瞭にする我が国の動植物の営みを写しとったものでもある。私達は小鳥の囀りに美を感じ、渡り鳥の鳴き声に生命の力強さを感じとっている。古代の焼物に施された文様や埴輪にみられる動植物の文様が自然崇拝の意味を含んでいるように、大地からの恵みを尊いものとする伝統的意識が備わっているのであり、花鳥を題に得た絵画は、思想や教学に左右されることなく心に沁み込んでくる。我が国の絵画は中国大陸に源流があるものの、深山の奇景などを題材とし、大自然に心を遊ばせる疑似体験を目的として山水図を生み出した人々の視野とはいささか異なっているのである。
絵画の発展には、鎌倉時代から室町時代にかけて盛んに輸入された禅に通じる意識が大いに働いている。そもそも禅の教えを表現した絵画類は、我が国においては独特の自然観と調和的に融合し、武士の美学として大きな柱を成したが、後に平明な装飾絵画に変化したことは、室町時代から江戸時代に至る狩野派の障屏画や、江戸時代の諸派の絵画でも知ることができる。
中でも狩野派が将軍家など権力者の近傍にあってその象徴たる数々の作品を生み出したことは、武家金工後藤家の存在に重なるところがある。後藤家は、将軍足利義政に仕えて東山文化の一翼を担った初代祐乗に始まり、獅子や這龍など霊獣図を製作した。二代宗乗は初代が創造した図柄を後藤家の伝統として定着させるために同作を専らとしたが、さらに幅を広げ教学的意味合いのある作や重厚で貫禄のある作品を遺しており、以降、作風と創作理念は代々受け継がれた。また、代の上がる後藤宗家は基本的に鐔を製作せず、目貫、小柄、笄の三所物を柱としたことも伝統的で、御家彫の呼称がある。
宗家十五代真乗光美は、先代光守の嫡子で安永九年の生まれ。享和四年正月に先代が没したため、同年(文化元年六月)に家督を相続している。桃山時代の五代徳乗などにもわずかに鐔の製作がみられるが、時代の要求に応じたものであろう江戸時代後期の工が鐔を手掛けている。中でも光美の製作した図柄は、獅子や這龍など霊獣だけでなく、町彫金工にもあるような秋草図、風景図、舞鶴図など多彩であり、後藤家の伝統を超えて視野を大きく広げようとした意図が窺える。
帰雁図は、『銀座情報』三九二号の土屋安親の芦雁鐔図でも紹介したように、小栗宗継筆大徳寺養徳院の襖絵(さらに遡る作品があったことも想像される)を手本に多くの絵師が描き、装剣小道具では金家も同趣の作品を遺している。金家は創り出すことそのものが禅であると捉えたものであろう、安親もまた禅に通じてはいたが、次第に独創的絵画表現へと傾倒していった。このような金工の創意の変化は、江戸時代の狩野常信や狩野秀信が、狩野元信の四季花鳥図屏風(室町時代・白鶴美術館蔵)を手本とした上で鳳凰図屏風を製作したことと同様、世の要求に応じたものであった。
この鐔は、自然観をそのままに捉えて背景を省略し、風景の文様化を突き詰めた作。雲間に月の現れる頃、沈んだ陽の光が滲んで空をあからめている。帰巣の雁は互いを呼び合うように群れを成して舞い降りてくる。
言葉にしてしまえば僅か数行の風景だが、この鐔には言葉にし得ない雁を包み込む空気感がある。視覚で捉えることのできない自然の要素に対する感動は、琳派の絵師などによって表現された。漂う空気、水の流れ、月を包み込む雲の動きも文様化されている。写実であってしかも文様表現であるのが琳派。本作にも琳派の美意識が窺え、また、画題の背後には我が国の古典が備わっている。
金工作品において、細やかな魚子地は省略という実際の技法を超えて大きな意味を持っている。この鐔では、布袋腹形に地面を肉高く耳際を薄手に仕立てられた造り込みが示す動きのある空間こそ最大の見どころ。円周状に打ち施された魚子地は、抑揚のある地面で僅かも狂うことなく奇麗に揃っており、流れるような地面が次第に闇へと移り変わって果てしなく広がる大空に変じている。
雁は後藤の様式美からなる高彫表現。広げた翼から首にかけての構成線は柔らかで、身体には細やかな毛彫が加えられ、銀と金の色絵でその特徴が綿密に再現されている。嘴を開いているのは「雁が音」の語があるように、大空に響きわたる雁の呼び合う声の表現であると同時に後藤の伝統でもある阿吽の相の描写である。
芸術の隆盛期でもある文化、文政頃を経験した光美は、武家が行動の拠りどころとした禅の教えを超えて新たな武家の求めるところを模索した。狩野家が御家伝を守り続けるとともに、古典回帰と新趣創造への道を求めたと同様。光美もまた、後藤の伝統を切り開くことで新たな世界観を見出そうとした。大小揃いとされた美しいこの鐔は、その典型的作品である。




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