―今なお漲る戦国の覇気
若狭国 慶長頃 約四百年前
刃長 一尺二寸七分/反り 三分三厘/元幅 一寸九厘
棟重ね 一分六厘半/鎬重ね 二分四厘強
彫刻 表 二筋樋掻流し 裏 棒樋掻流し
金色絵二重重ハバキ 白鞘入
平成九年東京都登録(11月18日 278296号)
Wakasa province
Keicho era (late 16 - early 17th century, early Edo period) / about 400 years ago
Ha-cho (Edge length) 38.5cm / Sori (Curvature) approx. 1.0cm
Moto-haba (Width at Ha-machi) 3.3cm / Kasane (Thickness) 0.75cm
Engraving: "Futa-suji-hi, -kaki-nagashi" on the right face (Omote), "Bo-hi, kaki-nagashi" on the back face (Ura)
Gold iroe double Habaki, Shirasaya
《相模国にルーツを持つ若狭国小浜の刀工》
冬廣と極められた脇差。
冬廣は室町中期に相模国から若狭の国へ移住した次廣の子に始まる名跡。
刃味優れ頑健な刀槍を手掛けた冬廣は、備中松山城主の三村元親にも招かれ、その城下で打っており、戦国武将の厚い支持を得ている。
《力強い刀姿と地肌》
この脇差は慶長頃の作とみられ、鎬筋が棟に抜ける冠落し造りで、素早く抜き放って至近の敵に応戦するに適し、身幅は極めて広く、棟の肉が削がれ鎬筋が張り、樋が掻かれてもなお手持ち重く、先反りついてふくら枯れ、頑健にして鋭利な体配。
地鉄は板目に柾。流れごころの肌を交え、粒だった地沸厚く付いて地景太く入り、強く肌立つ。
刃文は浅い湾れに箱がかった互の目、小互の目、尖りごころの刃を交えゆったりと変化し、刃縁の沸は匂口締まりごころとなり、一部は厚く付き、金線・砂流しかかり、足盛んに入り、刃中は匂で硬く締まる。
帽子は焼を充分に残し、掃き掛けて焼き詰める。
茎は無銘ながら生ぶ茎で、中程が張り先やや細い相州風の舟形茎。
戦国実戦の武器の実像を伝えて貴重である。