昭和二十九年宮崎県登録
特別保存刀剣鑑定書
上野守吉國は江戸前期大坂の刀工。土佐出身で、名を森下孫兵衛という。弟平助(陸奥守吉行)と大坂の大和守吉道門で修業し独立。足長丁子で名高い近江守忠綱と同じ伏見両替町に鍛冶場を構え、万治二年六月二十五日上野大掾を受領し守に転任。土佐藩の禄を食む。拳形丁子刃の名手で、鎌田魚妙『新刀辨疑』で弟吉行共々「大和守(吉道)に能似て丁子龜文に出来物多し」と評されている。
表題の平造脇差は身幅広く両区深く重ね厚く、健全なる保存状態で、反り高く寸法延びて量感のある姿。板目鍛えの地鉄は細かな地景が網状に入り、地沸が厚く付いて鉄色は晴れやか。殊に差裏は杢目肌が鮮明に現れて肌目起ち、吉國の鍛鉄への創意を感じさせる。刃文は長い大坂焼出しから始まり、小丁子が四つ五つと連れた拳形丁子は刃縁に新雪のような小沸降り積もって明るく、匂足長く射し、金線・砂流しがさらさらと流れ、沸筋が幾重にも層をなし京丹波吉道の簾刃を想起させ、匂立ち込めた刃中の照度は抜群に高く、刃文構成と相俟って大坂新刀らしい華麗な様相となる。帽子は浅く弛んで突き上げ、掃き掛けて小丸に返る三品帽子。太鑚の銘字にも上身の出来への自信が感じられる。豪商の需に応えた一振であろうか。師大和守吉道に見紛う出色の仕上がりとなっている。