昭和三十四年大分県登録
(昭和三十九年再交付)
保存刀剣鑑定書
頼光は戦国時代の備前長舩の刀工。これまで知られる遺作は、藤代版『日本刀工辞典(古刀篇)』の長享三年二月日紀の短刀(注①)で、その銘形は赤松政則に仕えた右京亮勝光に酷似(注②)し、勝光一門或いは親族で勝光の作刀に協力した刀工とみられる。勝光と弟左京進宗光は長享二年八月二十日、赤松政則の召しで千草鉄を携えて上洛し、近江で将軍義尚に鍛錬を披露している(注③)(『蔭涼軒日録』)。総勢百名の勝光一行中にこの頼光もあり、勝光、宗光の御前打を援けたのであろう。
この短刀は、『日本刀工辞典』の作例の八年前に精鍛された頼光の稀有の遺作。勝光に見紛う両刃造で、身幅の割に五寸強と寸短く、鎬筋凛然と立ち、厄除けの梵字の痕跡が遺されている。小板目鍛えの地鉄は、縦方向への強度に配慮されて柾肌を交えて詰み、細かな地沸が厚く付いて透き通るような鉄色を呈す。浅い互の目の刃文は小沸が柔らかく付いて刃縁が明るく、湯走りかかり、これも刺突の威力のためであろう、鋒周りの焼刃がやや強く沸付いて硬度が高められている。茎は掌に収まり良く、両刃造短刀らしく操作性に優れ、栗尻強く張った茎形、銘字も勝光に酷似。名工勝光、宗光兄弟を蔭で支えた頼光の存在と優れた技量を伝える貴重この上ない一口である。