昭和四十四年新潟県登録
特別保存刀剣鑑定書
米沢藩上杉家に仕えた加藤助四郎國秀と助太郎綱英父子(注①)の珍しい合作刀。上杉家は謙信、景勝親子が腰に帯びた山鳥毛一文字や水神切兼光等の刀を蔵し、江戸期以降も武器武具、特に利刀の備えには熱心で、優れた刀職者を擁した。江戸後期の加藤家はその最右翼で、水心子正秀門人の國秀と、その子綱英、綱俊、そして綱俊の子で幕府御用を勤めた運壽是一を輩出した。殊に綱俊は名工固山宗次の開眼に大きな影響を与えたことで知られ、加藤家の日本刀史における存在感は知名度以上に多大である。
表題の刀は、文化七年十月に江戸麻布飯倉片町の上杉藩邸で、子綱英が鍛え、父國秀五十二歳(注②)が焼入れした一刀。身幅広く重ね厚くバランス良く反り、鋒やや延びて姿力強く、小板目鍛えの地鉄は細かな地景が働いて緻密に肌起ち、鉄色明るく澄明感がある。刃文は短い焼出しから始まり、二連三連の互の目を基調に、傾斜がついて片男波風となる刃を配した濤瀾風大互の目乱刃で、帽子は小丸に返る。刃縁に積もった白雪のような沸は焼の谷から刃中に零れて足となり、刃境に渦巻き状、あるいは稲妻状の金筋が現れ、匂で澄んだ刃中に太い足が広がる。丁寧な仕立ての茎は水心子正秀に同断。表には正秀に似た鑚使いで父國秀が、裏には流麗な書体で綱英が刻銘。綱俊が固唾を飲んで見守る中、父が奥義を伝えんと焼入れを施した、記念碑的な優刀である。