昭和二十六年北海道登録
特別保存刀剣鑑定書
河内守國助二代は寛永五年(注①)摂津国大坂の生まれ。内本町東(現大阪府中央区内本町一丁目)に居住して堀川國廣門の父初代に学び、その晩年には代作を勤め、正保四年五月に父を看取って跡目を継ぐ。透き通るような地鉄に丁子刃の冴えた刀は刃味も抜群(注②)で、また「殺人活人普要刀本来無一物」(万治四年紀 第二十六回重要刀剣)「天真正守護」(第二十七回重要刀剣)等の添銘入りの刀もあり、國助二代が自作の刀に込めた強い想いを窺わせている。
この刀は、身幅が広く鎬筋が立ち、適度に反りが付いて中鋒の颯爽たる好姿。小板目鍛えの地鉄は豊麗に湧き立った地沸で地肌しっとりと潤って鉄が冴え、鉄質の良さが歴然。大坂焼出しから始まる互の目の刃文は焼高く、丸い茶花のような刃、菊の花弁のような丁子、さらに小丁子が密集して拳形になった刃、矢筈風の刃が重なり合う(注③)ように配されて高低に変化し、淡雪のような小沸で刃縁明るく、金線、砂流し微かに掛かり、匂で霞立つ刃中には匂足が盛んに入って葉が浮かぶ。帽子は横手下で焼き込み、やや突き上げて小丸に返る國助帽子。茎に太鑚で刻された銘字も鮮明。寛文年間、心技体最も充実した打盛りの一刀で、同作中の傑出作である。