昭和二十九年愛知県登録
特別保存刀剣鑑定書
正次は水心子正秀の孫で名を川部北司(ほくし)といい、文化十年江戸の生まれ。文政八年に祖父と父貞秀が死去し、後に遺された十三歳の正次は、祖父の高弟大慶直胤に引き取られて、下谷御徒町の家(注①)で起居を共にし、直胤の親身の指導で備前伝と相州伝を修め、後に娘婿となり、祖父正秀や直胤と同じく館林藩秋元家に仕えた。正次の刀は出来優れて、直胤の作に見紛う程であり、『新刀銘集録』巻八では「キタヒ((鍛))モ錵匂ヒモ直胤二能似タリ。荒錵・小錵交リ砂流二有テ見事ナリ」と絶賛されている(注②)。
この刀は相州伝、就中、郷義弘写し(注③)の一刀で、身幅広く両区深く、腰反り深く中鋒延びて姿堂々とし、棒樋が掻き通されて洗練味は抜群。柾目鍛えの地鉄は鉄質優れて緻密に詰み、地沸微塵について、処々湯走りかかり、透き通るような肌合い。互の目乱の刃文は新雪のような小沸で刃縁明るく、柾の鍛えに感応して金線・砂流しが幾重にもかかり、足長く射し、刃中は匂で霞立つ。帽子は浅く乱れ込み、掃き掛けて小丸に返る。茎は化粧付く筋違鑢が丁寧に掛けられて保存状態優れ、伸びやかな鑚使いで刻された銘字が鮮明。注文主の安部滋野信順(注④)は禄五百石で書院番として江戸城の守りを担当した旗本。その需に応えて材料を選んで入念に鍛刀されたものであろう。地刃溌溂とし、出来優れた一刀となっている。
注④清和天皇第五皇子貞保親王流で本姓は滋野。領地は三河国八名郷に領地があった。