短刀
銘 肥前國忠吉(初代)
(最上大業物)

Tanto
Hizen no kuni TADAYOSHI (the founder)
(Saijo O Wazamono)


肥前国 元和頃 約四百年前

刃長 九寸九分三厘
反り 六厘
元幅 九分八厘
重ね 一分六厘
彫刻 表 棒樋・櫃中に龍図毛彫
裏 草籏鉾・細樋

金着二重ハバキ 白鞘入

令和元年東京都登録
特別保存刀剣鑑定書 (彫物宗長別人)

Hizen province
Genna era
(AD1615-1623, early Edo period)
about 400 years ago

Hacho (Edge length) 30.1㎝
Curvature 0.2cm
Moto-haba (Width at Ha-machi) 2.97㎝
Kasane (Thickness) 0.5㎝
Engraving: "Bo-hi, Ryu" on the right face (Omote)
"So no Hatahoko, Hoso-hi" on the back face (Ura)

Gold foil double Habaki / Shirasaya

Tokubetsu-hozon certificate by NBTHK
(The author of the sculpture is not Munenaga.)

 肥前國忠吉(ごじただよし)は元亀三年の生まれ。鍋島勝茂に見出され、慶長元年には主命で京埋忠明壽の門を叩き、業成って同三年に帰国、佐賀城下長瀬町に屋敷地と鍛冶場を拝領した。忠吉と共に明壽に学んだのが彫師の宗長。以後彫刻の技術は吉長、忠長と続き、剣巻龍や籏鉾の刀身彫刻もまた肥前刀の魅力の一つとなったのである。 戦国時代末期の気風を伝えるこの短刀は、明壽(注①)に学んだ技術をさらに工夫し、真の棟で片切刃造と冠落造を表裏に組み合わせた難度の高い造り込み。そして、表の櫃中に巧みな毛彫で這龍が、差裏中央部には細樋がきりりと映え、鎬地に簡潔鋭利な鑚使いで籏鉾が彫られ、宗長に肉迫(注②)するその緻密な彫技が刀身の美観を高めている。地鉄は小板目肌が詰み澄み、地景が細かに入って肌目起ち、小粒の地沸が厚く付いた、忠吉らしい美しくも動感のある肌合い。刃文は浅い湾れに間遠く互の目を配し、小沸が付いて刃縁締まりごころに明るく、僅かに喰い違いと沸筋が流れて二重刃がかり、刃中は匂が立ち込めて水色に澄む。帽子は焼を充分に残してやや突き上げて小丸に返る。茎の保存状態は良好で、太鑚の五字銘は鑚枕が立って鮮明。元和四年八月頃の作(注③)とみられ、この時代の特徴でもある短寸の、忠吉初代の優技と明壽流の美意識が光る逸品となっている。

注①埋忠明壽には片切刃造短刀(慶長十三年紀のと元和四年紀)がある(『日本刀大鑑新刀篇一』)。

注②宗長は慶長十五、六年から元和七、八年に活躍した(『肥前刀大鑑忠吉篇』)。本作の彫は額状の櫃中に繊細緻密な鑚で龍を彫る埋忠明壽風の彫法で、宗長彫とは趣を異にしている。

注③肥の月の第二画が湾曲し、國の第二画の跳ね上がりと最終画の横棒が平行しており、元和四年八月頃の作とみられる。

短刀 銘 肥前國忠吉(初代)短刀 銘 肥前國忠吉(初代)短刀 銘 肥前國忠吉(初代) 白鞘

短刀 銘 肥前國忠吉(初代) 差表切先短刀 銘 肥前國忠吉(初代) 差表ハバキ上

短刀 銘 肥前國忠吉(初代) 差裏切先短刀 銘 肥前國忠吉(初代) 差裏ハバキ上

 

短刀 銘 肥前國忠吉(初代) ハバキ