令和元年大阪府登録
特別保存刀剣鑑定書
伯耆守正幸は享保十八年薩摩の生まれ。初銘を正良と切り、寛政元年に正幸と改銘し、伯耆守を受領した。江戸の水心子正秀とほぼ同時代を生き、相州伝正宗、貞宗、そして志津三郎兼氏を範に沸を強く意識した覇気横溢の刀や脇差を打ち、一世を風靡した。
この脇差は八十五歳の正幸が特別の需に応えて精鍛した一振。身幅頗る広く、しかも元先の幅差が殆どなく、重ねをやや控えめに、鋒を大きく延ばした堂々たる姿。地鉄は広く取られた鎬地を無類に詰んだ柾、平地を小板目に錬り鍛え、地景太く入り、粒子の大きな地沸が広がり、荒めの沸を交えて肌目が強く起ち現れ、覇気に満ちている。焼幅を低く抑えた刃文は、大らかな湾れに互の目、銀砂のような明るい沸が刃先に零れて、古伝に云う正宗の雪の叢消えの様相となり、その一部は地を焼いて湯走りとなり、あるいは二重刃ごころとなり、沸付いた刃中が蒼く冴える。帽子は乱れ込み、ここも強く沸付いて二重刃となり、焼き詰めごころに僅かに返る。茎は正宗と同じく剣先鋭く尖り、正幸特有の勝手上がり鑢が掛けられ、茎尻の切鑢も掟通り。太鑚で堂々と刻された銘字と差裏の「真錬」の添銘は入魂の鍛錬と出来栄えへの正幸の自信の現れに他ならない。正宗、志津への思慕の念と情熱が示された優品である。