銘 肥前國住人吉信

Katana
Hizen no kuni junin YOSHINOBU


肥前国 寛永九年頃 約三百八十八年前

刃長 二尺三寸二分
反り 四分
元幅 九寸九分
先幅 七分一厘
棟重ね 二分
鎬重ね 二分二厘
金着二重ハバキ 白鞘入

佐藤寒山博士鞘書「同作中傑作之一也」


昭和三十一年年東京都登録
特別保存刀剣鑑定書

Hizen province / around Kan'ei 9 (ealy Edo period) / about 388 years ago

Hacho (Edge length) 70.3㎝
Sori (Curvature) approx. 1.21㎝
Motohaba (Width at Ha-machi) 3㎝
Sakihaba(Width at Kissaki) 2.15 ㎝
Kasane (Thickness) 0.67㎝
Gold foil double Habaki
Calligraphy on the scabbard written by Dr. Sato Kanzan


Tokubetsu-hozon certificate by NBTHK

 吉信は本名を中島弥七兵衛(注①)といい、肥前國忠吉(ごじただよし)(武蔵大掾忠廣)の門人で娘婿である。慶長十二年に誕生した長男河内大掾正廣、元和四年生まれの次男出羽大掾行廣、慶長十九年生まれの忠吉の嫡男近江大掾忠廣など次代を担う若かりし肥前鍛冶の指導を担当し、特に寛永九年に忠廣が十九歳で棟梁になると、自らは長老として支援する立場となった。但し、専ら忠吉の作刀に協力した故であろう、吉信銘の遺作は極めて少ない(注②)。
 この刀は現存稀有の吉信の自身作で、一寸八分程区が送られて尚、身幅広く先幅もたっぷりとし、反り高く中鋒の堂々たる姿。小板目鍛えの地鉄は一部に起ちごころの肌を交えるも総じて微塵に詰み、地底に地景が太く入って活力に満ち、粒立った地沸が厚く付いて肥前刀らしい潤いのある肌合となる。互の目丁子乱の刃文は物打辺りで一段と焼高く、桜花のような丁子、丸くむっくりとした刃を交えて高低広狭に変化し、純白の小沸で刃縁が明るく、焼の谷から足が長く射し、凝った沸が焼頭中に現れて肥前刀特有の虻ノ目玉の如き呈をなし、細かな金線、砂流しが掛かり、微細な沸の粒子が充満した刃中も澄み冴える。帽子は焼を深く残して沸付き、乱れ込んで僅かに掃き掛けて小丸に返る。銘字は武蔵大掾忠廣の寛永九年二月吉日紀の刀のそれに酷似(注③)し、力強く華麗な作風も忠廣同然。肥前刀繁栄を陰で支えた吉信の本領発揮の優品である。


注①中島家は室町幕府初期の有力者山名氏清を遠祖とし、肥前蛎久に住した武士と云う(『肥前の刀と鐔』の正廣系図)。
注②献上忠廣に似た銘形の二尺二寸五分の刀(第三十回重要刀剣)や二尺三寸九分の刀(第三十六回重要刀剣)等、沸出来の乱刃の佳作がある。
注③「前」の月の第二画、「國」の或の銘形と特によく似ている(藤代松雄先生『名刀図鑑』第七集参照)。

刀 銘 肥前國住人吉信刀 銘 肥前國住人吉信刀 銘 肥前國住人吉信 白鞘

刀 銘 肥前國住人吉信 差表切先刀 銘 肥前國住人吉信 差表中央刀 銘 肥前國住人吉信 差表ハバキ上

刀 銘 肥前國住人吉信 差裏切先刀 銘 肥前國住人吉信 差裏中央刀 銘 越前守源助廣 差裏ハバキ上

刀 銘 肥前國住人吉信 ハバキ