備前国 文正元年 五百五十四年前
刃長 一尺四分六厘
反り 四分二厘
元幅 九分六厘
重ね 二分二厘
彫刻 表三鈷柄剣 裏 棒樋・添樋
金着二重ハバキ 白鞘付
黒漆粟文塗鞘脇差拵入
拵全長 二尺三寸三分
柄長 五寸三分
昭和四十六年東京都登録
特別保存刀剣鑑定書
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Bizen province / The first year of Bunsho era (AD1466, mid Muromachi period) / 554 years ago
Hacho (Edge length) 44.2p / Sori (Curvature) 1.3p
Motohaba (Width at Ha-machi) 2.91p
Kasane (Thickenss) 0.68p
Engraving: "San-ko-tsuka-ken" on the right face (Omote), "Bo-hi, Soe-hi" on the back face (Ura)
Gold foil double Habaki, Shirasaya
Kuro urushi awa-mon nuri saya, wakizashi koshirae
Whole length: approx. 70.6cm
Hilt length: approx. 16cm
Tokubetsu-hozon certificate by NBTHK
五郎左衛門尉則光は応永備前の盛光、康光などの作風を受け継ぎ、寛正年間を中心に永享から康正にかけて活躍し、この時代に名品を製作したことから「寛正則光」の異名で刀史に輝く名工。長い作刀生涯から応仁の乱(注@)にも際会し、戦乱や飢饉で揺れる時代においても迷いなく鎚を振るい、映り立つ地鉄に直刃や乱刃の冴えた優品(注A)の数々を手掛けた。
この平造脇差は応仁の乱直前の文正元年の作。身幅広く重ね厚く、反り高く先反りが加わってふくら枯れごころとなり、表に三鈷柄剣、裏には棒樋に細樋が映えた極上の美観。小杢を交じえた小板目鍛えの地鉄は緻密に詰んで透き通るようで、地肌の底に躍動する地景が窺え、地沸滾々と湧き立って肌潤い、焼刃に沿って鮮明な棒映りが地斑を伴って綺麗に立つ。直刃の刃文は、微かに小互の目、ごく浅い小湾れを交え、純白の小沸が柔らかく降り積もって匂口締まりごころに明るく、刃境にほつれ、喰い違いごころの刃、小足、葉が盛んに入り、刃中は匂で澄む。帽子は焼詰めごころに浅く返る。わずかな磨上げながら栗尻強く張った茎は保存に優れ、鑢は未だ鮮明で、入念に刻された銘には今なお鑚枕が立ち、五百年余の歳月を感じさせぬ程。応永盛光に比しても遜色のない直刃出来の傑作である。
脇差拵は大小一腰の小刀とみられ、黒漆塗の鞘は微細な粟文塗で品位高く、時代のままの肥後煤竹色糸で巻き込まれた赤銅地の獅子図目貫も風格があり、巴に意匠した舞鶴図鐔を掛けて味わい深い。
注@有力守護畠山家、斯波家の家督争い、将軍義政の継嗣問題、細川勝元と山名宗全の権力闘争が複雑に絡んで激化、応仁元年京都で戦端が開かれた。嘉吉の乱で滅亡した赤松満祐の遺臣は東軍細川勝元に味方して奮戦、備前・播磨・美作の旧領を回復した。彼らが擁した満祐の弟義雅の孫次郎法師丸が勝光・宗光らを重用した赤松政則である。
注A長禄三年美作国の有力武将鷹取泰佐の需で鍛造された太刀は重要美術品に指定されている。
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