平成十年熊本県登録
保存刀剣鑑定書
法華経こそ仏陀の言葉であると訴えた日蓮。斬首される瞬間、介錯せんと振りかぶった武士の太刀に落雷して命永らえ、佐渡に流されるなど、数々の法難に遭ったその生涯は波乱万丈ながら、強権にも屈せず信念を曲げなかった日蓮。その心は弟子に引き継がれ、戦乱や飢饉に喘ぐ人々、そして命の儚さを実感した武将たちの共感を得、京を中心に全国的な広まりをみせた。
表題の剣は大和千手院や古波平を想わせる古風な作で、銘文(注①)から明応九年日蓮宗信徒の武士熊田之國(これくに注②)が日蓮の菩提を弔うべく法華経八巻奉納に因んで精鍛させた作とみられる。法華経八巻とは日蓮宗寺院の祭壇に諸々の法具と共に飾られた鮮やかな朱色の巻物。十二月二十二日巻物に添えて奉納されたであろうこの剣は、身幅尋常で中程が引き締まって先の張った、小振り端正な姿。地鉄は柾主調の板目肌、小粒の地沸が柔らかく降り積もり、刃の際黒く澄み、白く霞のような映りが立つ。刃文は刃区上で焼落され、浅い湾れに互の目を交え、柔らかな沸で刃縁明るく、刃境に湯走り、ほつれ、金線、砂流しかかって二重刃となる。時代色濃厚な茎には細鑚で「妙法蓮華経巻第八日蓮為菩提」と切々と刻され、裏年紀(注③)も貴重。室町後期の法華経信仰の実情(注④)が示されて興味深い。注① 茎の銘文は関東地方に点在する板碑を連想させる。板碑とは鎌倉・室町時代、秩父産の瀝青片岩に梵字と年月日、立てた人物の名が刻された供養塔。熊田之國が打ち上げたこの剣も日蓮宗への帰依の思いと供養の念が込められたものである。因みに菩提という字は異体字で刻されている。
注② 「熊田之國作」は熊田之國作らす、と読まれ、作らせたの意味であろう。
注③ 本作のような古雅な作風の剣に、明応九年の年紀が刻されていること自体、実に稀有である。
注④ ねっとりした地鉄で九州物の特色が観察される本作がもし九州刀工の作とすれば、『立正治國論』の著者日親の、肥前を中心とする熱心な布教活動の成果を証する資料となるであろう。