平成九年東京都登録
保存刀剣鑑定書
大道(だいどう)は戦国時代の美濃国の刀工で、前銘を兼道と切る。永禄十二年に上京して正親町天皇に自作の剣を献上したところ、喜んだ天皇は陸奥守の受領を許し、「大」の一字を与え、以後「陸奥守大道」と切銘したという(注①)。
この短刀は、甲冑に身を固めた戦国武将が常に腰に帯びていたものであろう、身幅重ね充分で、棒樋が掻かれ、反り僅かに付き、刃肉が削がれ、ふくらやや枯れた精悍鋭利な姿。板目に流れごころの肌を交えた地鉄は地景が入り、小粒の地沸が厚く付く。互の目乱の刃文は、小互の目、小湾れ、角がかった刃、袋形の刃を交えて高低に変化し、淡雪のような小沸が付いて刃縁締まって冴え、焼の谷からうっすらと零れて小足となり、微かに金線、砂流し掛かる。焼を深く残した帽子は強く沸付き、浅く乱れ込んで突き上げて長めに返り、所謂、美濃の地蔵帽子形となる。茎には美濃物らしい檜垣鑢が掛けられ、太鑚で二字銘が大きく堂々と刻されている。武将の潔い生き方が反映されたような、きっぱりとした地刃が魅力の一振である(注②)。注①『室町期美濃刀工の研究』に詳しい。大道の子供たちが、慶長頃、朝廷御用を勤めた伊賀守金道、和泉守金道、丹波守吉道、越中守正俊であるという。
注②樋中と物打付近刃中に小傷がある。