黒木肌文塗鞘打刀拵入
拵全長 三尺三寸七分
柄長 八寸五分
平成六年岐阜県登録
尾川兼圀刀匠は、切れ味で鳴る兼定や孫六兼元など室町時代に多くの刀工を輩出して作刀の中心となった関の出身。大正十四年に生まれ、鍛冶職に就いて戦時中は陸軍受命刀工を勤め、戦後は江戸時代前期の助廣や井上真改などの大坂相州伝の沸深く明るい作風を追求し、その再現力が認められて平成十八年に無鑑査刀匠に指定されている。
この刀が大坂新刀を手本とした、兼圀刀匠の最も得意とした作風。元先の身幅が広く鋒延びごころに量感があり、重ねしっかりとして樋を掻き重量を調整、居合にも用いられる扱いやすい一〇七〇グラム(柄鐔共)に仕立てている。地鉄は小板目鍛えが微塵に詰んで地底の淡い地景によって動きのある肌合いとなる。刃文は、一つ、二つ、三つと大互の目を連続させ、帽子は細やかな掃き掛けを伴って大丸に返る構成。刃縁は小沸で柔らか味があり、匂によって焼刃が鮮やかに映え、刃縁に細やかなほつれが加わり、刃中には沸足が太く射し、物打辺りには斜めに沸筋が走っている。
江戸鐔工正之の鞍透図鉄地鐔を掛け、蘭図目貫を黒漆塗鮫に海松茶色染の革で巻き締めた、バランスの良い拵に収められている。