備前国 宝永八年 三百八年前 七十八歳作
刃長 二尺一寸九分一厘
反り 七分六厘
元幅 九分八厘
先幅 六分一厘
棟重ね 二分 鎬重ね 二分一厘
金着二重ハバキ 白鞘入
佐藤寒山博士鞘書「寶永八年紀並七十八歳と添銘」
昭和43年兵庫県登録
特別保存刀剣鑑定書
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Bizen province / Hoei 8 (AD1711, mid Edo period) / 308 years ago
Hacho (Edge length) 66.4p / Sori (Curvature) 2.3p
Motohaba (Width at Ha-machi) 2.96p
Sakihaba (Width at Kissaki) 1.86cm
Kasane (Thickenss) 0.66p
Gold foil double Habaki, Shirasaya
Calligraphy on the scabbard written by Dr. Sato Kanzan
Tokubetsu-hozon certificate by NBTHK
上野大掾祐定(こうずけのだいじょうすけさだ)は寛永十年七兵衛尉祐定の子として生まれ(注@)、名を横山平兵衛という。藩主池田光政公の推挙で上京し、寛文四年七月十一日に上野大掾を受領。末弟で養子の七兵衛祐信(後の大和大掾祐定)を向槌に精力的に鎚を振るい、元禄十年、六十五歳になってもなお藩主綱政の命に応えて備前一宮吉備津彦神社の刃長七尺三寸茎長五尺の奉納刀(注A)を打ち上げるなど、作刀への意欲は終生衰えることはなかった。
この刀は宝永八年七十八歳(注B)行年銘入りの一振で、身幅重ね充分で両区深く、腰反り高くついて中鋒に造り込まれ、さながら鎌倉時代の太刀を想わせる上品な姿。小杢目鍛えの地鉄は詰み澄み、細かな地景が入って所々肌起ち、地沸が微塵につき肌目が奇麗に起ち、刃寄り澄んで、鎬筋寄りには霞のような映りが立ち、鉄色は晴れやか。刃文は中直刃、ごく浅く揺れ、清浄な沸の粒子が密集して匂口締まって冴え、小足無数に入り、微細な沸の粒子が充満して刃中も明るい。帽子はふくらに沿って小丸、上品に返る。茎の保存状態は良好で、銘字は弟七兵衛祐信の手で入念に刻されている(注C)。隣国備中青江の如くにとの注文で精鍛された、直刃出来の佳品である。
注@享保六年十一月二十九日八十九歳で没(『新刀辨疑』)。
注A藩主より銀一貫三百拾匁を拝領という(『長舩町史』)。
注B行年銘は如何なる訳か満年齢で記している。注C七兵衛祐信の銘字は上野大掾に酷似しているが、備と船の旁、祐の扁の銘形が異なる。
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