伯耆国 永禄十一年 451年前
刃長 一尺六厘
反り 一分二厘
元幅 一寸五厘
重ね 二分五厘
彫刻 表裏 棒樋掻き通し・連樋掻き流し
金着二重ハバキ 白鞘付 上研磨
朱漆塗海老鞘拵入
拵全長 一尺六寸三分
柄長 四寸六厘
昭和二十六年石川県登録
特別保存刀剣鑑定書
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Hoki province / Eiroku 11 (AD1568, late Muromachi period) / 451 years ago
Hacho (Edge length) 30.5p / Sori (Curvature) 0.36p
Motohaba (Width at Ha-machi) 3.18p
Kasane (Thickenss) 0.77p
Engraving: "Bo-hi, Kaki-toshi and Tsure-hi Kaki-nagashi" on the both sides
Gold foil double Habaki, Shirasaya
Shu urushi-nuri Ebi-zaya koshirae
Whole length: approx. 49.4cm
Hilt length: approx. 12.3cm
Tokubetsu-hozon certificate by NBTHK
室町時代中期、廣賀は相模から伯耆へ移住(注@)し、守護大名山名氏に仕えている。応仁の乱の後に山名氏の勢威が衰えると、大永四年五月に隣国出雲の尼子経久の軍勢が伯耆を制圧したため、国外へ退去した小鴨掃部介の家臣見田兵衛は刀工に転じて伯州廣賀に入門したという(注A)。五郎左衛門尉廣賀(ひろよし)はその子で、相州綱廣の門下でも研鑽を積み、戦国武士の需に応えて優品を手掛けた。
この脇差は身幅広く重ね厚く、身幅の割に寸法控えめとされ、ふくら充分について量感があり、棒樋と連樋が掻かれて姿引き締まる。地鉄は小板目に小杢目を交えて詰み、地景が躍動し、物打付近に地斑を僅かに交え、湯走りかかり、滾々と湧き立った小粒の地沸が光を反射して淡く沸映り立ち、弾力味を感じさせる肌合い。刃文は尖りごころの小互の目に小丁子を交え、微かに逆ごころを帯びて僅かに起伏がつき、差裏の区上付近、大きく食い違って大胆な風情をみせ、飛焼状の湯走りかかり、銀砂のような沸の粒子がついて刃縁は締まって明るく、小足無数に入り、沸筋流れる刃中は細かな沸の粒子で昂然と輝いて美しい。帽子は島刃を交え、表は浅く弛み、裏は乱れ込み、突き上げて浅く返る。中程が張り先細い相州特有の舟形の茎の保存状態は良好で、住居銘を伴う刀工銘、年紀、注文銘(注B)が丹念に刻されている。戦国気質(注C)に満ち、出来も頗る優れている。
素銅地の色合いを活かした海老図金具で装い、桃山時代の風情を映し出し、しかもお目出度い朱漆塗の海老鞘拵(注D)が附されている。
注@…冬廣の父とされる次廣或いは廣次は室町中期に若狭国に移住。相州伝の鍛法を伝えている。
注A…『因伯の刀工と鐔』『伯州廣賀刀押形聚』参照。なお武士の家の出身ながら刀工に転じた例としては肥前國忠吉がいる。
注B…廣賀には永禄七年二月廿一日紀の備中松山城主三村元親の需打ちの太刀(『刀剣銘字大鑑』)の他、有力武将の注文打の作がある。なお、藤原清則は国名がないので伯耆の武将とみられる。
注C…美観を高めている樋も刺突後に素早く抜くための、機能上の工夫とみられる。
注D…廣賀(喜びを廣める)に相応しい外装である。
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