石見国 南北朝前期正平頃 約六百七十年前
刃長 二尺二寸八分
反り 三分五厘
元幅 一寸二厘強 / 先幅 六分六厘
重ね 二分三厘
彫刻 表 表裏 棒樋掻通し
金着二重ハバキ 白鞘入
本間薫山博士鞘書
昭和五十八年東京都登録
保存刀剣鑑定書(石州貞綱)
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Iwami province / Shohei era (early Nanboku-cho period, mid-late 14th century), about 670 years ago
Hacho (Edge length) 69.1cm / Sori (Curvature) approx.1.06cm
Motohaba (width at Ha-machi) approx.3.1cm / Sakihaba (width at Kissaki) approx.2cm
Kasane (thickenss) approx.0.7cm
Engraving: ”Bo-hi, kaki-toshi" on the both sides
Gold foil double Habaki, Shirasaya
Calligraphy on the scabbard written by Dr. Honma Kunzan
Hozon certificate by NBTHK (Seki-shu Tadatsuna)
貞綱は正宗十哲の伝説が残されている直綱の子で、良鋼出羽鉄の産地として遍く知られる石見国出羽(注)の刀工。正平頃の初代、南北朝末期の明徳頃の二代、応永の三代と続き、その末流は同国の長浜に移っている。時代の潮流でもある相州風を基礎とし、また備前からも少なからず影響を受けているのであろう、互の目乱に沸の付く作風を専らとしている。
この刀は、五寸以上の磨り上げで、元来は二尺八寸近い大太刀。重ね厚く樋が掻き通されてもなお量感があり、身幅広く刃先の肉が削がれて鋭利、残されている樋先の位置からも元来は大鋒であったことが想像される。板目鍛えの地鉄は全面に地沸が付いて良く錬れ、黒く澄んだ地景が肌目に沿って縦横に入り組み、鎬寄りには淡い乱映りが立ち、殊に物打辺りは丁子状の映りが鮮明。刃文は腰開きごころの互の目と地に深く突き入る牙のような刃の繰り返しになり、地に取り残されたような細い飛焼と、刃寄りの淡い湯走りが相州伝の風合いを漂わせている。匂と小沸の調合になる焼刃は、匂口柔らかく深味があり、刃境には小沸が付いてほつれ掛かり、刃中は一段と沸深く付いて沸の流れはほつれから砂流しへと変じ、物打辺りで焼き幅が狭まり、帽子の掃掛帽子へと連続している。婆娑羅武士の活躍した時代の作であり、姿から地刃総てが武骨で豪壮。後に磨り上げられてもなお重宝され、戦場を経巡ったであろうことが想像される。
注…現島根県邑智郡邑南町。
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