陸奥国 文久三年 二十七歳作 百五十六年前
刃長 一尺二寸七分
反り 三分六厘
元幅 一寸六厘
重ね 二分二厘
彫刻 表 二筋樋掻流し 裏 棒樋掻流し
金着二重ハバキ 白鞘付
茶石目地塗鞘脇差拵入
拵全長 一尺九寸五分
柄長 五寸
昭和三十四年福島県登録(15944号5月1日)
特別保存刀剣鑑定書(会津・十一代初期銘)
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Mutsu province / Bunkyu 3 (late Edo period, AD1863), worked at his 27 years old
Hacho (Edge length) 38.5p / Sori (Curveture) approx.1.09p
Motohaba (width at Ha-machi) approx.3.21p
Kasane (thickenss) approx. 0.67p
Engraving: "Futa-suji-hi, kaki-nagashi" on the right face
/ "Bo-hi, kaki-nagashi" on the back face
Gold foil double Habaki, Shirasaya
Cha ishime-ji nuri saya, wakizashi koshirae
Whole length; approx.59.1cm
Hilt length; approx.15.2cm
Tokubetsu-hozon certificate by NBTHK (Aizu, the11th shoki-mei)
新撰組副長土方歳三の愛刀を鍛えた和泉守兼定は天保八年の生まれ。初め兼元と銘し、嘉永頃から父十代兼定の代作代銘を勤めた。文久三年藩主松平容保の供で上洛し、兼定と改銘して和泉守を受領。元治元年七月には、御所を守る兵の一人となり、押し寄せた長州軍を迎撃する鮮烈な経験をしている。帰国後は佐幕の中核を担う会津武士の尚武に応えて鎚を振るった。
この脇差は和泉守兼定の受領直後の作とみられ、身幅広く重ね厚く、差表の刃先に鎬筋が屹然と立てられて二筋樋が掻かれ、裏は鎬筋が棟に抜けて棒樋が深く、適度な反りにふくらやや枯れ、姿鋭利にして力強く、江戸初期の埋忠明壽や出羽大掾國路、越中守正俊などの作を髣髴とさせる。地鉄は板目肌が詰み、地底に地景が蠢いて肌目緻密に立ち、小粒の地沸が厚く付いて鉄色は晴やか。互の目に丁子を交えた刃文は先へ行って一段と焼が深まり、銀砂のような沸が厚く付いて光強く、長い沸足を遮るように細かな金線、砂流しが掛かり、刃中に沸筋が細く長く流れ、焼刃の中に焼刃があるが如き複雑な景色となり、純白の沸が昂然と輝いて覇気横溢。帽子は強く沸付き、突き上げて長めに返る。茎は錆浅く白く輝き、二字銘(注@)が力強く刻されている。在京中、特別の需に応えての作であろうか。出来優れ、資料的な価値も高い逸品である。
会津金工の金具で装われた茶石目地塗鞘脇差拵(注A)が附されている。
注@…井本悠紀氏が「資料紹介 三品近江守金行と和泉守兼定の合作について」(『刀剣美術』七百十二号)で紹介した「日本鍛冶宗匠三品近江守金行 和泉守兼定」と切銘された受領直後の合作脇差の兼定の銘形と全く同じである。
注A…栗形は岩屋の縁に小さな手をかけて下を覗く鼠と、細い糸を巧みに操る蜘蛛図。如何なる寓意であろうか、愛らしくも不思議な図柄である。
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