備前国 宝徳二年 五百四十二年前
刃長 二尺二寸九分
反り 七分
元幅 九分/先幅 五分三厘半
棟重ね 一分七厘/鎬重ね 二分
金着二重ハバキ 白鞘入
昭和二十六年千葉県登録
特別保存刀剣鑑定書
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Bizen province / Hotoku 2 (early Muromachi period, mid 15th century), about 542 years ago,
Hacho (Edge length) 69.4cm / Sori (Curveture) approx.2.12cm
Motohaba (width at Ha-machi) 2.72cm / Saki-haba (wdith at Kissaki) 1.62cm
Kasane (thickenss) 0.6cm
Gold foil double Habaki, Shirasaya
Tokubetsu-hozon certificate by NBTHK
師景は室町中期の備前国の刀工。南北朝時代の大宮盛景の子師景に始まり、以後室町初期の応永から嘉吉の二代、宝徳頃の三代と続いた。代々景の字を通名とし、その鍛刀地は吉井川を挟んだ対岸、妙見山麓の福岡宮付近の大宮郷とみられる。
表題の宝徳二年紀の師景の刀は身幅重ね尋常で、腰反り高く中鋒慎みやかに造り込まれて典雅な姿。地鉄は小板目に小杢目を交え、区上の一部が肌起ちごころとなるも総じて詰み、地沸均一について大きく乱れた映りが焼刃に迫るように立ち現れ、地斑状に濃淡変化に富んだ地相を呈す。刃文は片落ち風の刃採りに小互の目、小丁子を交えて、小模様ながら変化に富み、帽子も調子を合わせて浅く乱れ、先は小丸に返る。小沸柔らかくついた焼刃は、刃縁明るく、小足入り、刃中は清浄な匂が敷き詰められて霞立つように澄む。茎の下半に銘字と年紀が入念に切り認められている。六代将軍義教が赤松満祐に討たれた嘉吉の乱から九年後の宝徳二年、幼少の将軍義政を戴きつつ、実力者の細川勝元と山名宗全が鎬を削っていた頃の作で、武家政治の混乱期に、敢えて鎌倉武士の益荒男ぶりに立ち戻らんとの高位の武将の需めによるものであろう。鎌倉後期の長舩景光の太刀を彷彿とさせる古風で上品な仕上がりとなっている。
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