大和国 天文頃 約四百八十年前
刃長 二尺四寸一分
反り 八分六厘
元幅 一寸三厘
先幅 六分九厘
棟重ね 二分九厘半
鎬重ね 三分三厘
彫刻 表裏 棒樋丸止・添樋
金着一重ハバキ 白鞘入
昭和四十年岐阜県登録
保存刀剣鑑定書
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Yamato province / Tenbun era (late Muromachi period, mid 16th century), about 480 years ago,
Hacho (Edge length) 73cm / Sori (Curveture) 3.0cm
Motohaba (width at Ha-machi) 3.1m / Saki-haba (wdith at Kissaki) approx. 2.1cm
Kasane (thickenss) approx.1cm
Engraving; ”Bo-hi, Maru-dome and Soe-hi" on the both sides
Gold foil single Habaki, Shirasaya
Hozon certificate by NBTHK
槍の名手と云われているのが大和金房鍛冶。中でも正真は、奈良の興福寺の僧、宝蔵院覚禅房胤栄の創始になる槍術に好適な十文字槍を得意とした。また金房一門の刀は寸法が長くがっちりとした造り込みを特徴としており、戦国武将の高い信頼を得ている。鍛冶場が設けられていたのは、金房一門の政次の作に「南都子守住…」と銘された作があることから、奈良市興福寺の西六百メートルほどの、現本子守町辺りと考えられ、今でも金房辻の地名が遺されている。
この刀は、寸法長く重ねが極厚、樋を掻いて重量を調整しているがそれでもなお重く、激しい打ち合いと斬撃を受け流すにも好適な造り込み。腰反りが深く、先に行っても反りが付いた姿は優雅であるが、同時に截断に適した構造であり、戦国期の高位の武将の備えであったことが想像されよう。地鉄は板目鍛えが良く詰んで所々に杢肌が立ち、淡く映りが掛かって、ここでも強度の調整が成されていることが判る。刃文は小足と葉が盛んに入る小互の目丁子で、小模様に乱れてしかも出入複雑に、一部焼が高く焼かれて変化に富み、そのまま一枚風に掃き掛けを伴って返る帽子も焼が深く健全度が高い。匂口の締まった焼刃は、匂の構成線に小沸が絡み、鍛え目に沿ってほつれが掛かり、刃中には砂流し、金線、匂の島刃、飛足を形成、地中にも淡い湯走り、小さな飛焼を交えるなど大和伝の働きが豊富な出来となっている。勝手下がり鑢が施された茎には、特徴的な銘字が刻されている。
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