肥前国 慶長十九年頃 約四百年前
刃長 一尺七寸四分五厘
反り 四分
元幅 九分六厘半 /
先幅 六分七厘半
棟重ね 二分強 / 鎬重ね 二分二厘
彫刻 表 草剣巻龍 裏 護摩箸
金着二重ハバキ 白鞘入
昭和二十六年岡山県登録
特別保存刀剣鑑定書
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Hizen province / about Keicho 19 (early Edo period, early 17th century), about 400 years ago
Hacho (Edge length) 52.9cm / Sori (Curveture) 1.21cm
Motohaba (width at Ha-machi) 2.93cm / Saki-haba (wdith at Kissaki) approx. 2.05cm
Kasane (thickenss) approx.0.67cm
Gold foil double Habaki, Shirasaya
Tokubetsu-hozon certificate by NBTHK
肥前刀剣王国の礎を築いた初代忠吉は、肥前竜造寺家に仕えた武士の生まれ。祖父は天正十二年島原の乱で主君竜造寺隆信と共に討ち死にしており、同じ年に父も病死。幼少の忠吉は武士として主君に仕えることもできず、知行を断念したが、一族の中の鍛冶の家に寄食してその技を修め、成長して鍋島家の認めるところとなった。慶長元年二十五歳の時に主命に依り、山城国埋忠明壽門に入って鍛刀と彫物の技を磨き、故郷佐賀に帰って慶長五年頃より作刀を世に出し、天賦の才にも恵まれて幾多の名作をものにしている。
表題の肥前國忠吉銘の脇差は、銘振りと作風から慶長十九年頃の作と鑑られ、わずかに鎬筋の張った、手持ちバランスの良い造り込み。鎬筋を中心に彫口の深い草体の倶利迦羅彫と護摩箸が、表裏重ね彫りとされている(注)。古調を帯びた小板目鍛えの地鉄は深く錬れて地景が目立ち、細かな地沸が付いた肥前肌の典型。互の目を交じえた直刃の刃文はごく浅く湾れて帽子へと連なり、ふくら辺りも弛み込み、先はわずかに掃き掛けて丸く返る。小沸の焼刃は明るく、匂が満ちて透明感のある刃中に小足が頻繁に射し葉が舞う。脇差ながら地刃に威厳と気品が漂い、一段と高い刀格を感じさせる一振となっている。
注…竜の姿態は略体であっても三鈷柄付剣が真に彫られているところや、やや間延びした彫り口は吉長彫に似ている。
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