平造脇差
平成二十八年京都府登録 |
元和元年に宇和島十万石の領主となった伊達秀宗は独眼竜政宗の長子で、幼少期に豊臣秀吉の寵愛を受けて秀の一字を賜っている。徳川氏を憚って次男忠宗を跡目とした父政宗は、遠い異郷の領主となる秀宗に愛情と資力を注ぎ、優れた家臣を付し、また、腰の物を鍛える刀工として國房を仙台から扈従させたと伝える(注@)。國房は本名を小野小市という。地肌ざんぐりとした大らかな作風は堀川國廣を想起させることから、門人であったとも考えられる(注A)。 注@…末光高義氏の論考「郷土の刀工筑後守国房の研究」(『刀剣美術』一二七号)に「元和元年三月宇和島へ入国の際、仙台から召し連れて来た者だともいわれている(中略)ほぼ間違いないものと思われる」と記している。なお、今後の研究を俟ちたい。 |
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