弓は、鉄砲伝来以前は最強の武器であった。古くから「弓馬の士」の語があるように、弓と乗馬は高位の武士にとって欠くことのできない武芸。その意識は江戸時代まで失われることなく、京三十三間堂の通し矢でも知られるように、剣の道と同様に武術として極まりをみせた。また、大名道具には矢を収めて飾る、あるいは運ぶための弓台、籠半弓、箙などがあり、空穂もその一つ。特に狂言の『靭(うつぼ)猿(ざる)』(注)でも知られているように、戦国時代の高位の武将は、猿や猪の革で包んだ仕立ての良い空穂に心が動かされたようだ。
この空穂は、厚手の皺革で仕立て、筒全体を流れるような白猪の毛皮で包み込み、竈は黒漆塗で籐の縁取り、間塞は表裏とも黒漆に金粉塗、表に三葉葵紋の高蒔絵で貫禄がある。金具は山銅地で腰帯は皺革黒漆塗。間塞の留緒も山銅の環が残されている。三本籐の筏、鏃を差し込む筬も健全。
注…子猿を連れた猿回しと大名が題材。猿の革で靭を作るために子猿をよこせと迫る大名。猿回しは泣いて拒むが大名は許さない。ところが子猿は何も知らずに懸命に芸をする。これを見た大名は次第に…。