脇差
銘 藤原吉次作
明應九年十月日
(良業物)
Wakizashi
Fujiwara no Yoshitsugu saku
Meio 9 nen 10 gatsubi
(Yoki Wazamono)



山城国 明応 五百十九年前
Yamashiro province, Meio 9, late Muromachi period (AD1500), 519 years ago

刃長 一尺七寸九分一厘 Edge length; 54.3cm
反り 五分五厘 Sori (Curveture); approx.1.67cm
元幅 九分七厘 Moto-haba(Width at Ha-machi); approx. 2.94cm
先幅 六分三厘 Saki-haba (Width at Kissaki); approx. 1.9cm
棟重ね 一分九厘
鎬重ね 二分四厘 Kasane (Thickness); approx. 0.73cm
彫刻 表 八幡大菩薩 裏 梵字
Engraving: "Hachi man dai bo satsu" letters on the right face(=Omote), "Bonji" letters on the back face (=Ura)

金着二重ハバキ 白鞘入 Gold foil double Habaki / Shirasaya
近藤鶴堂師鞘書
Calligraphy on the scabbard written by master Kondo Kakudo

昭和二十六年山形県登録
特別保存刀剣鑑定書
Tokubetsu-hozon certificate by NBTHK



太古の昔、護法魔王尊が降臨したと伝えるのが鞍馬山。平安時代初期にその波動に導かれた鑑禎(天平の高僧鑑真の弟子)が毘沙門天を、藤原伊勢人が千手観音を祀ったことにより鞍馬寺が開かれた。都人や武将の篤い尊崇を集め、出羽月山から鎮西英彦山まで列島縦断した修験者も訪れた洛北の霊山で、吉次はその神秘の力を得んがために門前辺りで鍛刀した、京三条派の刀工である。
この脇差は、戦国武将が素早く抜いて片手で用いるべく太刀に差し添えた短寸の打刀。身幅重ね充分で、鎬地の肉が削ぎ落されて総体に鎬筋張り、先反りが付いて中鋒の精悍な姿。腰元に不動明王の梵字と八幡大菩薩の神号(注@)が浮かび上がり荘厳な趣がある。地鉄は修験鍛冶月山さながらの綾杉肌に地景が働いて肌目が鮮明に浮かび上がり、地沸厚く付いて地肌潤い、立ち昇った映りは綾杉肌に感応し自然な乱れごころとなる。匂口締まりごころの直刃はこれも綾杉肌の働きで揺れ、小足無数に入り、刃中にも微細な沸の粒子が充満して明るく、古色蒼然として見応えがある。帽子は品よく小丸に返る。浅い筋違鑢の掛けられた茎は栗尻が張り、鞍馬住吉次銘の脇差(注A)(明應八年二月日紀(注B))に酷似した銘字が入念に刻されている。出来優れ、加えて修験道と刀工の関わりを強く示唆する稀有の一振。戦前の、研ぎと目利きで名高い近藤鶴堂(注C)師の御鞘書もまた貴重である。

注@…『日本刀大鑑古刀篇一』所載の三条長吉作銘の短刀(東京国立博物館蔵)の「八幡大菩薩」と書体がよく似ている。
注A…藤代義雄『日本刀工辞典古刀篇』。吉の銘字、旁の鑚使いが同一。
注B…裏年紀の應が明に比して大きく刻されている辺りは平安城長吉作の明應四年、九年紀の刀(共に重要刀剣)に近似。吉次が平安城鍛冶と同族の可能性を強く示している。なお、『古今銘盡』を引いて京三条派とする『日本刀銘鑑』の註文にも説得力がある。
注C…近藤周平。日本刀剣保存会をP羽皋氏より継承し、吉川賢太郎氏に継ぐ。鞘書に「…地奥州月山風也 贈黄村大兄 皇紀貮千六百弐年春 鶴堂剣人(花押)」とある。黄村翁は同会の相談役的存在。

脇差 銘 藤原吉次作 明應九年十月日刀 銘 備前國住長舩祐定作 天文四年八月日脇差 銘 藤原吉次作 明應九年十月日 白鞘脇差 銘 藤原吉次作 明應九年十月日 白鞘

脇差 銘 藤原吉次作 明應九年十月日 切先表脇差 銘 藤原吉次作 明應九年十月日 刀身中央表脇差 銘 藤原吉次作 明應九年十月日 ハバキ上表


脇差 銘 藤原吉次作 明應九年十月日 切先裏脇差 銘 藤原吉次作 明應九年十月日 中央裏脇差 銘 藤原吉次作 明應九年十月日 刀身区上差裏

脇差 銘 藤原吉次作 明應九年十月日 ハバキ

吉次押形
Ginza Choshuya All Rights Reserved


銀座長州屋ウェブサイトトップページ