刀 |
京都を焦土と化した応仁の乱の原因の一つは、越中を領国とした管領畠山家の政長と義就による家督争いであった。越中国の刀工宇多國宗は畠山家中の需で鎚を振るい、重臣に従って洛中(注@)でも鍛錬している。年紀のある遺作には文明十一年紀の皆焼の刀(十一回重要)と短刀(『日本刀工辞典』)、長享元年紀の直刃出来の菖蒲造刀(『名刀図鑑』)があり、特徴でもある強く沸付いた地刃は厳しい戦国気質を映し出している。 注@…『実隆公記』文明十五年十二月十二日条に宇多國宗が京都で鍛錬 |
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