刃長 二尺二寸五分五厘
反り 四分三厘
元幅 九分強
先幅 六分一厘強
棟重ね 二分
鎬重ね 二分一厘
金色絵一重太刀ハバキ 白鞘付
金梨子地塗葵紋蒔絵鞘糸巻太刀拵入
拵全長 三尺三寸二分
柄長 七寸八分
平成十七年埼玉県登録
保存刀剣鑑定書(新刀)
Hacho (Edge length) 68.3㎝
Sori (Curvature) approx. 1.3㎝
Moto-haba (Width at Ha-machi) approx.2.73cm
Saki-haba(Width at Kissaki) approx.1.85cm
Kasane (Thickenss) approx. 0.64cm
Kin nashiji nuri "Aoi" mon makie saya,
itomaki tachi koshirae
Whole length: approx. 100.6cm
Hilt length: approx. 23.6cm
直江志津に始まる兼信の工銘は応永頃の善定派に受け継がれ、一門は関において栄えた。以降代を重ね、天正年間を経て末は新刀期に至っている。寛永頃には田代源一兼信の声価が高まり、寛文頃の二代目大和守兼信、陸奥守兼信の活躍も知られている。
この兼信は、新刀初期に濃州神戸住と居住地を刻銘した田代兼信一門と思われ、身幅を控えめに重ねしっかりとして手持ちが良く、わずかに区を送って操作性が高められている。鎬地柾目、平地小板目鍛えとされた地鉄は、細やかな地沸が付いて明るく、その所々に地景を伴う杢肌が綺麗に浮かび上がる。刃文は孫六兼元伝の地中に深く鋭く射し込む三本杉乱だが、これに湾れが加わって自然な抑揚を成し、帽子は先端がごく僅かに掃き掛けて小丸に返る。小沸に匂の複合した焼刃は明るく冴え冴えとし、物打辺りに湯走りが掛かって焼刃構成が変化し、匂が立ち込めて明るい刃中には柔らか味のある足が盛んに入る。居住地はないが、鷹ノ羽鑢に細鑚で銘が刻されている。
濃密な色合いの金梨子地塗に、盛上蒔絵の手法で三葉葵紋が施された鞘と、赤銅魚子地高彫金色絵の三葉葵紋総金具で装われた、美しくも厳格な趣のある糸巻太刀拵が附されている。金具に百二十、蒔絵で十の、合計百三十の葵紋で装われた贅沢な製作となっている。