刃長 一尺三寸
反り 三分三厘
元幅 一寸七厘
棟重ね 一分六厘半
鎬重ね 二分三厘
彫刻 表 腰樋・添樋
裏 護摩箸
金着二重ハバキ 白鞘入
昭和三十七年岡山県登録
特別保存刀剣鑑定書
Hacho (Edge length)39.4cm
Sori (Curvature) approx. 1cm
Moto-haba (Width at Ha-machi) approx. 3.24cm
Kasane (Thickenss) approx. 0.7㎝
Engraving: "Koshi-hi" and "Soe-hi" on the right face (Omote)
"Goma-bashi" on the back face (Ura)
和泉守國貞は天正十八年日向国飫肥の生まれで、名を井上作之丞という。京に鍛冶場を構えていた同郷の先達堀川國廣に入門し、一門の名手越後守國儔の指導で鍛刀技術を会得、國廣の没後は大坂へ出て元和九年に和泉守を受領している。時恰も大坂夏の陣後の江戸初期。幕府によって再建された大坂城下には、腕一本で世を渡る気概の武士や才覚一つで富を築かんとする覇気に溢れた商人が跋扈。新天地の剛毅の気を吸い込んだ國貞は、刀工として立身せんと、文字通り一所懸命に鍛刀したのである。
この脇差は寛永初期、國貞四十代の作。身幅広く姿に量感があり、重ね厚く、鎬地の肉が僅かに削がれ、適度に先反りが付いて屹立した鎬筋が棟に抜ける師國儔譲りの冠落造で、腰元の棒樋と添樋、護摩箸が映えた好姿。小板目鍛えの地鉄は細かな地景が密に入り、小粒の地沸が均一に付いて地肌潤い、鉄冴える。浅い湾れに互の目を交えた刃文は高低変化して奔放な趣があり、物打付近へ行って焼が一段と高くなり、帽子は大きく喰い違いを交えて強く沸付き、突き上げごころに小丸に返る。白雪のような沸が厚く付いた刃縁は明るく、焼の谷には沸が零れて沸足となり、刃境に細かな金線、砂流しが掛かり、物打付近に太い沸筋が流れ、沸の粒子が充満した刃中は殊に照度が高い。茎の保存状態は良好で、小振り独特の書体の銘字が神妙に刻されている。遠くは志津兼氏、近くは和泉守兼定を想わせる初期作。典型的で出来が優れている。