刃長 一尺四寸五分五厘
反り 三分三厘
元幅 九分六厘強
先幅 七分一厘
棟重ね 二分三厘
鎬重ね 二分四厘強
彫刻 表 棒樋丸止・添樋・剣巻龍
裏 棒樋丸止・添樋・三鈷柄剣
上蓋金着下蓋銀着二重ハバキ 白鞘付
黒蝋色塗印籠刻鞘脇差拵入
拵全長 二尺一寸五分
柄長 五寸
平成八年東京都登録
特別保存刀剣鑑定書
Hacho (Edge length) 44.1㎝
Sori (Curvature) approx. 1㎝
Moto-haba (Width at Ha-machi) approx. 2.9㎝
Saki-haba (Width at Kissaki) approx. 2.15cm
Kasane (Thickenss) approx. 0.73cm
Engraivng:
"Bo-hi"maru-dome,"Soe-hi"and "Ken-maki-ryu" on the right face (Omote)
"Bo-hi" maru-dome, "Soe-hi" and
"San-ko-tsuka-ken"on the back face (Ura)
Gold and silver foil double Habaki / Shirasaya
Kuro ro-iro nuri inro kizami saya,
wakizashi koshirae
Whole length: approx. 65.1cm
Hilt length: approx. 15.2cm
文政六年紀の右作宗次(うさくむねつぐ)の脇差。「右作」といえば元禄頃の岡山藩工で「右作」と号した播磨出身の刀工鈴木五郎右衛門宗榮がいる。また『新刀銘集録巻四』所収の「宗榮系図」で六代目宗榮をみると「正秀門人。鈴木右五郎。文政天保頃」とある。これにより、表題の文政六年紀の右作宗次は「姫路臣右五郎宗榮」と銘する六代宗榮の前銘であろう。播磨出身の手柄山正繁が大坂、江戸へ行ったように、右作宗次も江戸の水心子正秀門で修業し、帰国後、宗榮を襲名したと考えられる。
この脇差は、身幅広く重ね厚く、腰元から反りが付いて中鋒の均整がとれた姿で、しかも刃先の線、樋の線、棟の稜線が軌を一にし、凛と引き締まって美しい造り込み。彫刻は不動明王の化身である三鈷柄剣を鋭い爪で掴み、しなやかな体を巻き付けて呑み込まんとする龍の図で、全身を包む鱗は一枚一枚丁寧に彫られて逆立ち、眼は見開かれて生気凛々とし、水心子門の名彫師本荘義胤を想わせる緻密な鑚使い。地鉄は無類に詰んだ小杢目肌が緻密に肌起ち、初霜のような地沸が厚く付いて肌が一段と冴える。刃文は細く長い焼出しから始まる丁子乱刃で、柔らかな小沸が付いて刃縁明るく締まり、丁子が二つ三つと連なって満開の桜花を想わせる華麗な構成。匂で澄んだ刃中には匂足が長く射して葉が浮かぶ。帽子は横手を焼き込み、端正な小丸に返る。錆浅く底白く輝く茎は右作宗榮とは反対の逆鷹ノ羽鑢が掛けられ、太鑚で入念に刻された銘字も鮮明である。
黒漆塗印籠刻鞘の拵は白鮫着の柄に牡丹獅子図金無垢目貫が映え、小柄、笄の横谷獅子も愛らしく躍動し、龍が彫られた刀身に相応しい豪華な装い。元禄の鈴木宗榮以後の「右作家」の動向と優技を伝える頗る貴重な一口である