昭和四十四年広島県登録
堺では戦国時代より火縄銃の製造が盛んで、火縄銃の威力とその革新性に着目した織田信長の要請に応じて、鉄砲隊の編成に協力し、戦国最強と畏怖された武田騎馬隊と対峙した長篠の合戦において目覚ましい戦果を挙げたことで一躍戦場の主役兵器となった。堺筒は他国の火縄銃に比してデザイン性に優れていたことから、火縄銃の華と呼ばれて人気が高い。本作は、八角形の銃身に、堺筒の代名詞ともいえる、ふっくらとした柑子を備えた作。柑子には縄目が施され、銃床には真鍮にて雲龍、波兎、桜花、松竹梅、菊花、鶴亀など多様な吉祥文が意匠されている。絡繰機構は健全で総じて状態が良い。