昭和五十五年埼玉県登録
特別保存刀剣鑑定書(寶壽)
寶壽(ほうじゅ)は陸奥国の古鍛冶で、源氏重代の太刀髭切の作者と伝える文壽の子に始まるという。遺作には正中年紀の太刀(武蔵御岳神社蔵)、額銘建武の刀(一関市博物館蔵)、暦応三年紀の薙刀(弊社旧蔵)、貞治三年紀の平造脇差(一関市博物館蔵)、永和二年紀の太刀(第三十三回重要刀剣)などが、また伊予村上家にも無銘寶壽の三尺八分の太刀(第十三回重要刀剣)がある。いずれも地刃は古色があって悠久の歴史を感じさせ、古来愛好者が多い。海賊衆を率いた村上氏はこの太刀を源氏の宝刀髭切に擬えていたのであろうか、寶壽への憧れを偲ばせている。
生ぶ茎無銘で寶壽と極められたこの剣は、南北朝初期の作と鑑られ、戦勝祈願のために寺社奉られたもの(注①)であろう、身幅広く重ね薄く、表裏の鎬筋に細樋が掻かれて寸法が延び、不動明王が備えている剣にも似て神聖な趣。板目鍛えの地鉄は刃寄りに柾肌が流れて肌起ち、地沸が厚く付いて霞のような映りが立つ。細直刃の刃文は淡雪のような小沸が付いて、刃境に湯走り、ほつれ、打ちのけ、細かな金線、砂流しが掛かって処々二重刃となり、小模様で多彩な変化は古作ならではのもので味わいも一入。帽子は焼詰める。生ぶの茎は、上の目釘穴も表裏から穿たれて古風。神の憑代に相応しい風格ある一口(注②)である。