平造脇差 銘 畠山大和介源正光 / (菊紋)天保十三年秋吉日
Hira-zukuri wakizashi:
Hatakeyama Yamato no kami Minamoto no MASAMITSU
[Kiku-mon] Tenpo 13 nen aki kichijitsu

摂津国 天保十三 

刃長 一尺二寸九分
反り 三分三厘
元幅 九分一厘
重ね 二分

金色絵二重ハバキ 白鞘付

金梨子地塗家紋散鞘合口拵入
 拵全長 一尺九寸五分
 柄長 五寸

平成四年大阪府登録

特別保存刀剣

Settsu province
Tenpo 13(A.D.1842, late Edo period)

Hacho : 39.1cm
Sori (Curvature) : Approx. 1cm
Moto-haba (Width at Ha-machi) : Approx. 2.76cm
Kasane (Thickness) : Approx. 0.61cm
Gold plating double Habaki
Wooden case (Shirasaya)

Kin nashi-ji nuri "Kamon"(family crests) chirashi saya, aikuchi koshirae
 Whole length : Approx. 59.1cm
 Hilt length : Approx. 15.2cm

Tokubetsu-Hozon

 畠山正光は備前の出身。和泉守正清の子で初銘を正次と切る。播磨に赴き、はじめ尾崎助隆門人の岡本安儔に学び、さらに濤瀾乱刃を習得すべく江戸に上って水心子正秀の門を叩くなど努力の人であった。業成って後も水戸、紀伊、摂津などで作刀しているのは、作刀の研究が背景にあってのものであろう。大和介受領後は菊紋を刻して源朝臣を冠した銘を多くみる。なお、天保の飢饉の折に大坂城を攻撃して敗れた大塩平八郎の差料は、菊紋の刻された正光の刀であったと伝え、また、新撰組隊士の佩刀の中にも畠山正光の刀があったことが資料によって知られている。
 表題の平造脇差は、師家筋の尾崎助隆の濤瀾乱に見紛う程の傑作。実戦に即して小振りに引き締まった平造の脇差は、南北朝時代の腰刀を手本としたもので、先反りが付いて刃先鋭く、物打辺りに張りがありいかにも武骨。小板目肌が詰む美麗な地肌は細かな地沸で覆われ、一際地鉄が澄んで明るい。刃文は押し寄せては返す大波の如き濤瀾乱刃の所々に水晶のような透明感のある玉を焼き、帽子は個性的な尖りごころのある小丸返り。粒子の揃った小沸主調の明るい焼刃は、刃縁に小沸が深々と付いて刃中に匂が起ち込め、地に玉刃を配した鮮やかな仕上がりとなっている。
 近世の作ながら、濃密な色調の金梨子地塗に三葉葵紋を盛上蒔絵で配した鞘に、同じ三葉葵紋の品位の高い出目貫と小柄を備えた、色鮮やかで美しい合口拵が附されている。










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