昭和二十六年福岡県登録
特別保存刀剣鑑定書
永禄二年二月、父兼道、三兄弟と共に濃州関から上京した金道は、関白二条晴良の取り立てによって禁裏御用を務め、文禄三年二月に伊賀守に任じられ、京五鍛冶の筆頭として天賦の才を振るい(注)、三品派の棟梁として、永く後世まで繁栄する同派の礎を築いた巨匠である。
表題の刀は、区深く残されて身幅広く、寸法、重ね共に中庸ながら重量があり、中鋒延びごころに結び、端整な姿形の中にも鉄質詰まった奥深い内容を秘めた作。鍛えはこの工の最も得意とする流れごころの板目肌で、古刀期の作を見るように厚く付いた地沸を切り裂くように地景が走って肌目が鮮やかに起ち、強弱変化のある湯走りが地中に広がり、一部は飛焼となる。刃文も形の定まらない互の目乱が強弱高低連なり、小互の目、尖刃、矢筈風の刃、細かな花弁状の刃、刃境に湯走りに伴う二重刃を交え、横手下辺りから湾れて帽子に連なり、先は掃き掛けて焼詰めとなる。浅い棟焼を施して守りの効用を高めている。鮮烈と言い得る強く明るい沸と匂の調合になる焼刃は、本国美濃関の兼定(之定)を見事に継承した作風。肌目に沿ってほつれ掛かり、その流れは刃中において輝き鋭い金筋、太く帯状に連なる沸筋、多重に層を成す砂流しとなり、匂が満ちて透明感のある刃中には鮮やかな足が広がって刃先に迫り、物打辺りはこれを切るように沸筋、金筋が流れ掛かり、刃先に飛足、葉が漂う。地刃とも古名作に迫る風格を備えた佳品となっている。伊賀守金道は後代の作品のみ多く、初代の現存刀は極めて尠い。