脇差
銘 應綿屋虎兵衛需 横山加賀介藤原祐永作之
備前國長舩住人 天保四癸巳年二月日

Wakizashi
Wataya Torabei no motome ni oji,
Yokoyama Kaganosuke Fujiwara no SUKENAGA
Kore wo tsukuru,
Bizen no kuni Osafune junin,
Tenpo 4 Muzunoto-Mi no toshi 2 gatsujitsu


備前国 天保 三十九歳作 百八十八年前

刃長 一尺六寸二分
反り 六分
元幅 一寸
先幅 六分七厘
棟重ね 二分一厘
鎬重ね 二分二厘

金着一重ハバキ 白鞘付

金唐革塗鞘打刀拵入
拵全長 二尺四寸
柄長 五寸八分

昭和二十八年兵庫県登録

特別保存刀剣鑑定書

価格 八十五万円(消費税込)

Bizen province
Tenpo 4(A.D.1833, late Edo period)
188 years ago

Hacho (Edge length) 49.1㎝
Sori (Curvature) approx. 1.82㎝
Moto-haba (Width at Ha-machi) approx. 3.03㎝
Saki-haba(Width at Kissaki) approx.2.03㎝
Kasane (Thickenss) approx. 0.67㎝

Gold foil single Habaki
Shirasaya

Kin karakawa nuri saya,uchi-gatana koshirae
Whole length approx. 73cm
Hilt length approx. 17.6cm

Tokubetsu-hozon certificate by NBTHK

Price 850,000 JPY

 備前一文字伝の名手加賀介(注①)祐永が、岡山の豪商綿屋虎兵衛(注②)の特別の需に応えて鎚を振るった、出来の優れた脇差。身幅広く腰反り高く中鋒の、鎌倉時代の太刀を縮小したような優美な姿で、無類に詰んだ小板目鍛えの地鉄は初霜のような地沸が微塵について澄み冴える。刃文は得意の互の目丁子乱刃に桜の花びらのような刃を交え、純白の小沸で匂口明るく、匂で霞立つ刃中には足が柔らかく射して葉が浮かぶ。帽子は祐永らしい端正な小丸。腰元の焼出しは山裾の長い富士山刃とされ、冬晴れの空に白い冠雪の映えた富岳が見事に再現されている。茎の保存状態は良好で未だ底白く輝き、入念に刻された銘字に鑚枕が立つ。帝がかぐや姫に贈られた不老不死の薬を焼いて「不死山」と呼ばれるようになったという、その 富岳を象った刃文に長寿の祈りが込められているのであろう。
拵は鮮やかな金唐革塗鞘の脇差拵で、梅と桜に松透図の鐔と、梅に鶯図縁頭は「年月を松にひかれて経る人に今日鶯の初音聞かせよ」(『源氏物語』第二十三帖 初音)を想起させる雅な意匠。周の西伯(文王)の呼びかけに、釣竿を手に振り返る太公望呂尚を描いた目貫は周の興国譚(注③)で、これも縁起が良い。内外とも得難い逸品である。

注①…前年十二月十七日に受領(『長舩町史刀剣編史料』)。

注②…綿屋家は江戸前期、岡山藩領の建部の開拓で財をなした。虎兵衛は天保頃の綿屋一族であろう。

注③…周王西伯は渭水で釣りをしている賢人呂尚(軍師・太公望)と出会い師に迎えた。呂尚は西伯を援け、暴君紂を討ち天下を統一した。

脇差 銘 應綿屋虎兵衛需 横山加賀介藤原祐永作之 備前國長舩住人 天保四癸巳年二月日脇差 銘 應綿屋虎兵衛需 横山加賀介藤原祐永作之 備前國長舩住人 天保四癸巳年二月日金唐革塗鞘脇差拵 刀身 脇差 銘 應綿屋虎兵衛需 横山加賀介藤原祐永作之 備前國長舩住人 天保四癸巳年二月日脇差 銘 應綿屋虎兵衛需 横山加賀介藤原祐永作之 備前國長舩住人 天保四癸巳年二月日 白鞘

 

脇差 銘 應綿屋虎兵衛需 横山加賀介藤原祐永作之 備前國長舩住人 天保四癸巳年二月日 差表中央脇差 銘 應綿屋虎兵衛需 横山加賀介藤原祐永作之 備前國長舩住人 天保四癸巳年二月日 差表切先脇差 銘 應綿屋虎兵衛需 横山加賀介藤原祐永作之 備前國長舩住人 天保四癸巳年二月日 刀身差表 ハバキ上

脇差 銘 應綿屋虎兵衛需 横山加賀介藤原祐永作之 備前國長舩住人 天保四癸巳年二月日 差裏切先脇差 銘 應綿屋虎兵衛需 横山加賀介藤原祐永作之 備前國長舩住人 天保四癸巳年二月日 差裏ハバキ上脇差 銘 應綿屋虎兵衛需 横山加賀介藤原祐永作之 備前國長舩住人 天保四癸巳年二月日 差裏ハバキ上

 




脇差 銘 應綿屋虎兵衛需 横山加賀介藤原祐永作之 備前國長舩住人 天保四癸巳年二月日 ハバキ

 

祐永押形